山に行こう 山行記録 武尊山

武尊山

標高2158m・群馬県

2004年10月6日(木) 曇り〜10月7日(金)晴れ
武尊山テント泊 単独

●写真

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●交通

往路JR蒲田4:41 − 上野5:09
上野5:13 − 高崎6:54
高崎7:08 − 水上8:10
関越交通バス水上駅8:20 − 久保8:50

復路関越交通バス川場温泉16:10 − 沼田駅16:40
JR沼田16:56 − 上野19:04
上野19:09 − 蒲田19:38

●山行

1日目(歩行時間5:09)
久保8:50-途中休憩5分-林道終点9:50-休憩22分-林道終点発10:12-途中休憩15分-名倉ノオキ12:24-途中休憩10分-手小屋沢避難小屋13:00-休憩22分-手小屋沢避難小屋発13:22-武尊山15:13
2日目(歩行時間7:30)
武尊山6:50-途中休憩10分-家ノ串山7:52-前武尊8:39-休憩8分-前武尊発8:47-不動岩を経て-前武尊10:53-荒山沢12:21-休憩12分-荒山沢発12:33-旭小屋13:17-休憩20分-旭小屋発13:37-途中休憩15分-川場温泉15:25

●記録文

●1日目

10/6−7に休暇をとることが出来た。前から計画していた、武尊山への山行を実行に移す。車で行けば日帰りも可能な山なのだが、例によって電車とバスなので山頂にテントを張って朝を迎えるという計画。予報では、2日とも秋晴れになるはず...
だったのだが、水上に近づくにつれ、晴れ渡っていた空が雲に包まれていく。利根川沿いには湿度たっぷりの空気の中に虹まで出る始末だ。水上駅で駅の外に出ると、霧雨が降っていて寒い。このあたりの天気は、新潟の予報も参考にして考えなくてはいけないようだ。久保でバスを下車しても天気は変わらず。集落やスキー場の中を、黙々と歩いていく。途中には湧き水があって、水が補給できる。
車道を1時間ゆるゆると登って、ようやく登山口に着いた。握り飯を2個かじる。時折霧雨がさあっと通り抜けていく。車が1台やってきて、おじさんが一人降りてきた。これからキノコ狩りでこの辺りを散策するらしい。武尊には何回か登っているようで、「水の心配はない」と心強い情報をもらうことが出来た。登山ポストに届けを出し、熊鈴を鳴らしながら出発。今年は熊がだいぶ里に出るようなので、鈴はストックにつけてよく鳴るようにした。
唐松林の林道っぽい道を小一時間歩いた。やがて道が細くなって沢と合流。いつもよりは水量が多いのだろうか? 登山道の一部は沢水が流れ込んでいるところがあった。途中ムキタケらしいキノコがあったので、いくつか拾った。ごくたまに日差しが漏れることもあるけど、おおむね曇り、あるいは霧雨だった。
沢が詰まると急坂となった。このあたりから、徐々に黄葉が良くなっていって、尾根に出るとかなりいい感じとなった。とくに新潟側は黄葉の進み具合が早いようだ。同じ曇りでも、色づいた木々のおかげで森が明るくなった気がする。独りうれしくなって写真を撮りながら行く。
いったん鞍部に降るとその下に手小屋沢避難小屋が見えた。風が強くなってじっとしていると寒い。水を汲まなくてはならないので、雨具を着て降りていった。小屋前の沢は水が豊富に流れている。沢というよりは、川に近い水量だ。今回はここが流水ということを知っていたので、直接飲む水は簡易浄水器で濾してから汲んだ。ここでザックの中の水は計4リットルに増えた。ちなみに小屋の中は床が結構びしょぬれで、ちょっと泊まる気になれないような有様だった。ここはあくまでも「避難小屋」という位置付けの小屋と思っておいたほうがよさそうだ。
手小屋沢避難小屋から先は再び急坂となった。木の根を越えて、ぬかるんだ道を登って行く。登るに従い風が強く、冷たくなっていった。途中で下山してくる高齢の登山者とすれ違う。裏見ノ滝まで車で入って山頂往復だそうだ。この人は先週北アの穂高に登って、武尊は整理体操をしにきた、と言っていた。
やがて梯子や鎖場が現れ始めた。雨で湿っているので手ごわい箇所もあった。この辺りには修験道の宗教的な印しがところどころにある。風が強いし霧雨も降るので、山頂まで行かずにその辺の草陰でテントを張ろうという弱気にもなるのだけど、もう少しもう少しという気持ちで進んで行った。やがて道はハイマツ帯となって、しばらく行くと武尊山山頂にたどり着いた。
山頂はガスの中。風が吹いていて誰もいない。寒いのですぐにテントを設営。中に入って一杯やり始める。その後つまみやら、カレーうどんを食べて満腹となった。外に出て携帯電話で接続を試みるもうまくつながらず断念。寒さで歯の根が合わない。そのまま明日の晴天を願って、テントがばたばた風に揺られるままに寝た。
●2日目

起床5時。テント内6度。外は0度だ。フリースを着て外に出るとそれほど寒くはない。昨夜の寒さは風のせいだったらしい。空は願ったとおりの快晴になった。まだ夜明け前で、沼田市の夜景が良く見えた。日光白根山の辺りに赤光がさし始めていた。5時40分過ぎにご来光を迎えた。
辺りをぐるりと見回すと、この山が360度の展望台であることがわかった。主だった山だけでも、日光白根山、皇海山、袈裟丸山、赤城山、富士山、浅間山、四阿山、草津白根山、谷川岳、朝日岳、巻機山、平ヶ岳、至仏山、笠ヶ岳、燧ヶ岳などを見渡すことが出来た。登った山もあれば、これから登りたい山もある。やはり朝日岳〜白髪門辺りは、かなり心惹かれるところだ。朝日を浴びた谷川岳の岩壁を間近で見てみたい。
上州側の紅葉は山頂で始まりかけ。あと1週間くらいすると山腹くらいまで良くなりそうな感じだった。
テントを撤収し7時前に山頂を後にした。朝日が正面に見えるのでかなりまぶしい。山頂直下にはヤマトタケル像が奉納されていた。そこからしばらく笹原を降ると、通路のようになった湿地があって、池塘の水面は薄く結氷していた。霜柱もそこかしこに出来ていた。笹清水では昨日の雨のせいか豊富に水が流れていて、飲み水を取ることが出来た。
分岐を右に折れて、家ノ串までは笹原と疎林の明るい道を行く。正面には日光白根から皇海への稜線が見えている。眼下には伸びやかな風情の武尊牧場があった。振り返ると武尊山のながめもいい。
平坦な通路となっている家ノ串を通過。沖武尊をまいていくと、日帰りで往復するという単独の人と出合った。かなり早く登山口を出てきたのだろう。足元にコケモモの実があったので、2−3個つまんだ。この辺り、沖武尊の岩峰にへばりついた黄葉の感じがなかなかいい。
登り返して前武尊。ここにも大きな像がある。展望は想像していたよりも良くなく、武尊山方面は樹林でさえぎられている。代わりに正面に皇海山が逆光になって見えていた。一服した後、問題の不動岩方面へと降った。
急坂を3−40分ほど降ると鞍部について、不動岩の岩峰群の鎖場が現れた。一つ目の鎖に取り付いて数mの岩場を攀じあがる。その上部の背すり岩という箇所で早速難渋した。そこは上下に狭く左側の切れた通路のようなところ。どうも荷物が大きい&重過ぎるようだ。ザックが岩につかえて通過するのが困難だった。
その先の下りの鎖は切れ落ちた崖で、上からのぞくと鎖がしばらくたれた先で、右側のほうに消えていって見えない。ザックの重量を減らすために猫の額ほどのスペースで水を捨てたりしているときに、あやまってストック、テントポール、行動食を崖下にいっぺんに落としてしまった。
不動岩のてっぺんが空につきあがっているのは見えるのだけど、これで一気に気持ちが萎えてしまった。あえて危険を冒す必要はない。前武尊まで登り返してノーマルルートで川場温泉まで下山することにした。途中武尊核心部の眺めのいい岩場があったのが唯一の慰みだった。
前武尊からは樹林帯の降り。途中、スキー場のリフトの最上部では冬に向けてのメンテナンスが行われていた。そこは開けた場所で、日光白根山の眺めが良かった。山腹に掘られたスキー場の痕が痛々しい。
ずんずん下って、荒山沢の分岐に到着。水が底をついたので沢で補給した。しばらく行くと川場野営場。誰もおらずひっそりしている。傾斜も緩くなってその先で林道に出た。車が2台とまっていた。砂利の林道を20分ほど歩くと車道に出た。奥利根ゆけむり街道という道で、車の往来がそこそこある。そこから川場温泉までは2時間の車道歩きだ。
しばらく下って行くと旭小屋があった。旭小屋は奥多摩辺りの小屋に匹敵するほど立派な小屋だ。小屋前には沢水があって、トイレもある。ここに泊まって早朝から武尊を往復するのもいいかもしれない。
延々車道を下って行く。途中、いくつかの温泉宿を通り過ぎた。川場温泉が近づくと農地があって、そこで作業をしていた老農夫に「山に登ってきたんだっぺ」と話し掛けられた。少子化や過疎化のことなど、そんなつまらない言葉ではないけど、それを本当に気にしている会話。この人の祖父が、明治時代に武尊の直下にある銅像を担ぎ上げたのだそうだ。
川場温泉入口のバス停についた。酒屋があるのでビールと四合瓶を買った。バス停で酒を飲みながらバスを待つ。不動岩から引き返したせいで予定より2時間ほど遅い。
なんとなく酔っ払ってきたときに、上の畑で話し掛けてくれたじいさんがカブに乗ってやってきた。わざわざ目の前を通り過ぎて用事のあるフリをして向こうに行って戻ってきて、酒屋に入っていったと思ったら、オロナミンCを買ってオレにくれた。「先祖の銅像を拝んでくれたから」だと言う。名前を教えてくれて、また来たときは寄って行けと言われた...東京から数時間しか離れていないこの土地に、どうしようもない懐かしさを感じた。

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