2003年8月1日(金) 晴れ〜8月2日(土) 晴れ〜8月3日(日) 晴れ〜8月4日(月) 晴れのち曇り〜8月5日(火) 曇りときどき晴れ
テント4泊 単独行
幕営地:太郎兵衛平(8/1)、黒部五郎小舎(8/2)、双六小屋(8/3)、笠ヶ岳山荘(8/4)
●写真
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●交通
往路 | JR | 蒲田20:50 − 品川21:00 |
品川21:04 − 新宿21:23 | ||
さわやか信州号 | 新宿高速バスターミナル22:30 − 有峰口5:08 | |
タクシー | 有峰口駅5:50 − 折立6:39 |
復路 | 車 | 新穂高温泉13:00 − 新島々駅15:20(途中温泉と食事) |
松本電気鉄道 | 新島々15:28 − 松本15:57 | |
JR | 松本16:38 − 茅野17:35 | |
茅野20:10 − 甲府21:42 | ||
甲府22:30 − 石和温泉22:45(大雨のため8/5は石和温泉泊) | ||
石和温泉5:58 − 高尾7:17(8/6) | ||
高尾7:52 − 東京8:56 | ||
東京9:15 − 蒲田9:36 |
●山行
1日目(歩行時間4:30) |
有峰口6:50-三角点8:23-休憩15分-三角点発8:38-途中休憩15分-五光岩ベンチ10:25-太郎平小屋11:21-休憩5分-太郎平小屋発11:26-太郎兵衛平テント場11:55 |
2日目(歩行時間8:48) |
太郎兵衛平テント場5:20-太郎平小屋5:51-北ノ俣岳7:58-休憩7分-北ノ俣岳発8:05-赤木岳付近8:45-休憩10分-中俣乗越9:43-五郎ノ肩11:38-黒部五郎岳11:56-休憩45分-黒部五郎岳発12:41-五郎ノ肩12:50-休憩20分-黒部五郎小舎15:30 |
3日目(歩行時間7:20) |
黒部五郎小舎5:06-黒部乗越6:30-休憩10分-黒部乗越発6:40-三俣山荘7:36-休憩14分-三俣山荘発7:50-鷲羽岳8:47-休憩56分-鷲羽岳発9:43-三俣山荘10:30-休憩25分-三俣山荘発10:55-途中休憩30分-三俣蓮華岳12:15-休憩38分-三俣蓮華岳発12:53-双六岳14:22-休憩10分--双六岳発14:32-双六小屋15:29 |
4日目(歩行時間6:08) |
双六小屋5:42-弓折岳7:02-大ノマ乗越7:24-大ノマ岳8:12-休憩13分-大ノマ岳発8:25-秩父平8:58-休憩5分-秩父平発9:03-笠新道分岐10:19-休憩16分-笠新道分岐発10:35-途中休憩10分-笠ヶ岳山荘12:00-休憩10分-笠ヶ岳山荘発12:10-笠ヶ岳12:24-休憩46分-笠ヶ岳発13:10-テント場13:30 |
5日目(歩行時間5:55) |
笠ヶ岳テント場6:10-笠新道分岐7:15-休憩5分-笠新道分岐発7:20-杓子平8:00-途中休憩30分-小池新道11:35-新穂高温泉12:40 |
●記録文
●1日目 今年の夏山第1弾は勤続10年目の休暇を利用して北アルプスに出かけることにした。北アルプスに行くのは今回が初めてだ。せっかく長い休みが取れるのだから1-2泊ではいけない黒部源流の辺りでどこか、ということで、読売新道〜赤牛岳も候補に上がったのだけど、結局初めてということで、交通の便が比較的よい有峰口・折立から入って、黒部五郎岳に登ることにした。あとはついでに鷲羽岳、三俣蓮華岳、笠ヶ岳を登って4泊5日ののち新穂高温泉に降ることにした。4泊5日のテント泊も初めての経験となる。 |
出掛けの計量で荷は22kg。雨山峠〜鍋割山のトレーニングが効いたのか、担いでみると足回りは充実していた。仕事を終えて一度帰宅したのち、ラッシュの一段落した山手線で新宿へと向かう。新宿西口の地下通路から、高速バスターミナルへ。歩いていると同じように登山姿の人たちがぽつぽつと見かけられる。ターミナルに出来た臨時のカウンターで、有峰口までの運賃11000円を支払った。予約したのは前日だった。 |
室堂行きのバスは全部で3台。全て満席のようだった。車内にトイレはなく、リクライニングもきかなかった。夜の新宿を後にし、携帯ラジオを聞きながら行く。高速に乗る頃には眠気を催し、うつらうつらして、あとは休憩毎に目が醒めたけれども、そこそこ眠ることが出来たと思う。ここ何年かで、座りながら睡眠をとるのに慣れてきている。 |
4時過ぎに明るくなって辺りを見るとすでに田園地帯で、標識によれば立山が近づいている模様。どこをどう通ってここまで来たのかわからないけれども、とにもかくにも北アルプスへとやってきたようだ。しばらくすると予定より早く、5時過ぎに有峰口に着いた。5分ほど歩いて、有峰口の駅へ。ここで菓子パンを食べたりしてバスの発車を待っていると、運良くタクシーの相乗りにあずかることが出来て、ちょっと割高(3300円/人)だけど、1時間ほど早く折立に着いた。ちなみに折立までの道は夜間通行止めで、6時にならないとゲートが開かないとのことで、道には車の待ち行列が出来ていた。 |
折立には休憩所と自販機、トイレがあって、ここで用を足したり、水を補給してから出発した。十三重之塔を見て、ゆっくりとした歩みで樹林帯を三角点まで。70過ぎの関西のおじさんや、バスの席が隣でタクシーも一緒だった50過ぎの人と前後して話しながら、出来るだけペースを抑えて進んだ。緑色の鳥のような花を見つけた。あとで調べるとラン科のキソチドリだった。 |
三角点にはベンチがいくつかあって、一気に展望が開けた。遠くに剱岳や立山、目の前には薬師岳の巨体が横たわっていた。晴れて暑くなりそうだった。ここからは樹林もほとんどなくなり、日をさえぎるものがなかった。ニッコウキスゲが随所に咲き誇る中を、石畳の道を踏みながら上っていった。イワハゼやタテヤマリンドウの花も見られた。日差しは強かったけれども、高原的な情緒が増すにつれ、気分が高揚していった。 |
軽いアップダウンを繰り返して、左手に五光岩、後手に有峰湖を見ながら、やがて太郎平小屋へと道は達した。ここまで特にきつい箇所はなかった。小屋の手前はお花畑で、特にチングルマの群落がすばらしかった。太郎平小屋の前は広場になっていて、多くの人が休憩していた。ビールと日本酒を買って、太郎兵衛平のテント場へと木道を進んだ。ガスが出て、薬師岳や明日登る黒部五郎岳の姿を望むことは出来なかった。木道脇のそこかしこには、高山植物が咲き乱れていた(ヨツバシオガマ、イワオウギなど)。 |
太郎兵衛平のテント場は広く、薬師岳に源を発する中俣の沢の音が聞こえて涼しげだった。水場の水も豊富で、トイレも清潔だった。時計はまだ12時過ぎで、幕営の受付は14時からとのこと。テントをお花畑の中の高台に設営し、ビールを飲んで一服。辺りにはチングルマ、コイワカガミ、アオノツガザクラ、イワイチョウなどの花が咲き乱れていた。正面の薬師沢の向こうには、明日歩く北ノ俣岳が見えていた。ラーメンを作って食べると眠くなってきたので、1時間ほどテントの中でうつらうつらした。 |
目が醒めてテントから顔を出すと15時過ぎ。少しガスが出てきた。花に囲まれながら夕飯の準備を始める。今回の山行では毎晩米を炊く予定。早めに水につけておくことがうまく炊くポイントだ。小屋で購入した日本酒を飲みながら、ゆっくりと時間を過ごす。ちなみに、このテント場でもビールだけは売っていたが、その他は太郎平小屋で調達するしかないようだった。夕飯のおかずはコンビーフの缶詰だけだったけど、山の中では充分なご馳走だった。あとはジンをちびちびやりながら、日の入りまで過ごして、18時半には就寝。夜中はぽつぽつと雨がぱらついたようだ。 |
●2日目 4時ごろテントから顔を出すとガスが立ち込めていた。朝食は昨夜の余りのご飯に卵と梅干を入れて雑炊にした。食べ終わるとガスが徐々に晴れて、青空も顔を出し始めた。テントを撤収して、5時20分に出発。まずは木道を太郎平小屋へと戻っていく。どんどんガスが晴れてきて、小屋に着く頃には黒部五郎岳が完全に顔を出していた。北ノ俣岳の緑色の向こうに、城塞のように聳えている。太郎平小屋の脇を通ると水場があって、豊富な水が流れ出ていた。ここから薬師沢へ向かう人と北ノ俣方面へ向かう人は半々くらいの様子だった。自分はまず太郎山へと向かった。 |
太郎山につく頃にはほとんどガスが取れていた。周囲は丘陵状の場所で展望がよく、薬師岳、赤牛岳、水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳が黒部の源流を取り囲んでいて、その中心に雲の平が盛り上がっている様子がよく分かった。今日も快晴で、すばらしい眺めが期待できそうだった。 |
太郎山から北ノ俣岳へはお花畑の連続だった。コイワカガミ、チングルマはもちろんのこと、昨日は見られなかったハクサンイチゲが大群落を作っていた。いくつかのコバイケイソウも花をつけていた。黄色い花はミヤマキンバイだろうか? 傍らにある池塘が朝日に反射して美しかった。 |
まだ斜面に雪を置いている北ノ俣岳からは大展望で、黒部源流辺りの山々を一望することが出来た。三俣蓮華岳の向こう辺りに、槍の穂先がちょこんと顔を出していた。黒部五郎の辺りには、少しガスがかかり始めていた。スニッカーズをかじって補給した。 |
赤木岳付近はハイマツ帯の緩やかなアップダウンが続いた。あいかわらず花が多かったけれど、ここで見つけた可憐な花は、ミネズオウだった。前方に赤牛、鷲羽、水晶、後方に薬師を眺めながらの贅沢な道のりだった。 |
池塘のある中俣乗越へは急な降り。鞍部では人々が休憩していた。ここから黒部五郎岳への登りはガレ場の急登だった。途中花の写真を撮りすぎたせいか思いのほか時間がかかっているし、それなりに疲労もしていた。ゆっくりと呼吸を整えながら登っていく。残念ながら辺りにはガスがかかり始めて展望が利かなくなっていた。足元にはまた別の花がいくつか現れて、気持ちを和ませてくれた(チシマギキョウ、ミヤマダイモンジソウ、ウサギギク、トウヤクリンドウ、イワツメクサなど)。 |
息を切らせてようやく五郎の肩に到着。多くの人がここに荷物をデポして山頂を往復しているので自分もそれに習う。空身になると羽が生えたように体が軽かった。ゴロ石の急登を15分ほどで黒部五郎岳の山頂に着いた。巨石の散らばる山頂からはあいにくのガスで大展望というわけにはいかなかったが、時折晴れる雲の合間から、五郎ノカールが美しかった。岩壁の底にまあるく横たわるカールの中には、まだ大きな雪渓が残っていて、その中に敷き詰められたグリーンの絨緞と、点々と散らばる大小の石がきめの細かいサテンのようだった。ジンをちびちびやりながら、いつまで眺めていても飽きることがなかった。 |
肩に戻って、今度はカールの中に降りていった。急斜面だけどここもお花畑になっていた。カールの底に着くと雪渓から流れでた水が、大きな流れを作っていた。ここで、頭を洗って水を飲むと、一気に疲れが吹き飛ぶようだった。黒部五郎を見上げると、雪のついた斜面の上に岩峰が盛り上がる様がすばらしかった。 |
カール内の地形はまさに天上の極楽で、巨石の点在するお花畑の中に雪融け水が幾筋にも流れ行く様は、時間を忘れさせた。雲ノ平山荘が黒部源流の谷の向こうに見えた。道は徐々に下ってやがて樹林帯に入り、何度かアップダウンした後、黒部五郎小舎にたどり着いた。カールの辺りで一度小屋が見えてからがけっこう長く感じられた。実際今日はかなりペースが落ちていて、花や景色を見ながら来たせいもあるだろうが、コースタイムをかなりオーバーしていた。 |
黒部五郎小舎は小奇麗な建物で、応対も明るく気持ちよかった。テン場は小屋から100mほどの平地で、水場もあって気持ちよいところだった。トイレは小屋に併設されていたが、ひとつしかないので、少しグレードは落ちるだろうか? ビールを2本購入してテントを設営した。 |
今日は途中で知り合った同年輩の単独行の人と隣同士。いろいろ歩いているようで、方々の山の話を聞かせてくれた。自分と同じく何の団体にも所属せず独学でやっているとのこと。話の中でいくつか学ぶべき点もあった。彼は明日は笠ヶ岳まで行く予定で、なかなかの健脚の様子。自分は鷲羽〜三俣蓮華〜双六と登って、双六小屋でキャンプのつもりだ。せっかく遠くまできたのだからゆっくりするつもり。辺りの人たちもここまで来るのはやはり相当の山好きで、そこかしこで見ず知らずの人たちが山談義で盛り上がっていた。 |
今夜の夕飯は麻婆春雨。おいしいのだけど独りで食べるにはちょっと量が多くて、キモチ悪いくらいの満腹感を得ることが出来た。就寝は18時半。夜は風、雨ともになく、ぐっすりと眠ることが出来た。日焼けした顔や首が少し痛んだ。 |
●3日目 隣の彼は、3時前からごそごそやり始めた。笠までいくのだから当然長丁場で、早立ちなのだろう。4時には撤収が済んだようで、出発前に自分もテントから顔を出して挨拶をした。いつかまた遭うこともあるかもしれない。 |
朝食を済ませて出発。30分くらいは急登で、小屋から出発したご夫婦のあとからゆっくり登らせていただく。ガスの満ちた稜線に出ると傍らを雷鳥の親子が横切っていった。風が強いけれども心和むひと時だった。 |
ハイマツの中を進んで黒部乗越へ。シャクナゲの花の名残もあった。やがてどんどんガスが晴れて、いつの間にか空は快晴になっていた。振り返ると昨日登った黒部五郎や明日登る予定の笠ヶ岳までが顔を出していた。笠が岳は噂どおりの均整の取れたシルエットだった。 |
さてここからどういうルートを取るか悩んでいたのだけど、この晴れ具合を見て、心は一気に鷲羽岳へと向かった。三俣蓮華はあとでよることにして、お知り合いになった年配のご夫婦に別れを告げる。そしてまき道を、三俣山荘へ向かうことにした。日焼け帽子のために、タオルを首に巻いた。 |
まき道はお花畑と雪渓が交錯する道で、途中雪融け水で喉を潤し、頭を洗うことが出来た。日焼けした肌に冷たい水が心地よかった。雪渓の横断は2回で、ステップがきってあるので、しっかりと足を置いて通過することができた。三俣山荘が近づくと正面に槍ヶ岳が見えた。北鎌尾根のギザギザの稜線が水平のシルエットになって、浮かび上がっていた。 |
沢の斜面沿いに作られた三俣蓮華岳キャンプ場を抜けると、広場のような三俣山荘だった。ここにザックをデポして、必要なものだけをもって鷲羽岳の往復だ。今日はこの3日間で一番晴れている。ぐぐっと三角に立ち上がる鷲羽岳はもう目の前だ。空身になったせいもあるのだろうけど無性に登降欲が沸いてきた。 |
ハイマツ帯を抜けて登りに取り付いた。しばらくは砂礫の登り。軽くなった体でさくさくと進んだ。やがて道は岩場になって、手も使いながら攀じ登っていく。今日は本当に快晴で、登りながら槍穂、黒部五郎、薬師が眺め放題という、贅沢な急登だった。途中鷲羽池の分岐で、鷲羽池と槍穂をセットで眺めることが出来た。時間があれば鷲羽池まで下ってぼうっと過ごすもの静かでよさそうだ。 |
空身なので苦しむこともなくあっという間に山頂に飛び出るとこれまた絶景が広がった。くどいようだが槍穂、黒部五郎、薬師は勿論のこと、水晶・野口五郎の奥には後立山連峰、眼下には雲ノ平の伸びやかな風景、常念から大天井〜燕、餓鬼岳までの白みがかった稜線も見放題だった。南側に立てば鷲羽池を見下ろすことが出来て、その向こうの槍穂の連なりは襖絵を見ているようだった。遠くには白山、富士山、浅間山、八ヶ岳なども望見できた。あまりの展望に朝っぱらからジンを飲みながら1時間の滞在。山頂では親父に連れられてから30年ぶりに鷲羽にきたという、人と知り合いになった。 |
往路を下って三俣山荘まで。9時を過ぎた高山の日差しはかなり強く、登ってくる人の顔も険しい。いや、それ以上に自分自身の日焼けが限界を超えていて、これ以上はやけどを負いそうな気がしたので、タオルでほおっかむりをし、暑いのを我慢して長袖を着て下山した。日焼け対策を怠ったことを後悔し始めていた。 |
三俣山荘でトイレを借用。山荘の公衆電話でBの携帯に電話を入れて無事歩いていることを伝えた。今日は日曜らしく(?)Bと会話することができた。外に出て荷物をまとめた。あまりの日光の強さに、今日のこのあとの行程に不安を感じ始めた。3000mの稜線は日をさえぎるものがない。これを忘れていた。ほおっかむりと長袖で、暑さに苦しみながらの出発となった。 |
日蔭がない。わずかなハイマツの陰に身を寄せるようにして休みながら、三俣蓮華への登りをあえぎながらこなしていった。巻き道との分岐に着く頃にはほとんど登頂への意欲はうせていたけれども、見上げると三俣蓮華の峰が聳えているので、気持ちを奮い起こして、岩場に取り付いた。斜面は雪渓とお花畑の美しい登山道だった。 |
三俣蓮華岳の山頂はいつのまにかガスに取り囲まれていた。時折北側が晴れて、鷲羽岳が姿を現してくれた。ラーメンを作って昼食にした。やはり巻き道に行かず登ってよかった。それは登る前からわかりきっていたことだった。 |
三俣蓮華岳から丸山を経て双六岳へはいくつかのアップダウンがあった。道は完全にガスに巻かれていたけれども、足元には可憐な花々が咲き乱れ(ハクサンフウロやタカネヤハズハハコ)、雷鳥も姿を現してくれた。それにしても、疲労がピークに達しつつあった。歩みが進まなかった。 |
休憩を取って双六岳に到着。ガスで展望はない。写真だけとって双六小屋に下山する。巨石の点在する台地状の地形が面白い。それを過ぎると急降下となって、足の負担もピークに達した。やがて巻き道を行く人の列が見え初めて、そこからどんどん降ると、双六小屋にたどり着いた。小屋の中は火事場のような混雑で、そうそうに手続きを済ませて、双六池のある広いテント場に一夜の宿を設営した。辺りには数十張りのテントがすでに設営されていたけれども、まだ場所には余裕があった。トイレと水場は小屋の設備を利用。トイレは綺麗だったが、水量は少し乏しかった。 |
本日の夕飯はサンマ缶。小屋で買ったビールと日本酒を片手に、疲れを癒すことが出来た。双六小屋の正面には鷲羽岳が聳えていた。鏡平のほうから吹上げてくる風は冷たかったけれども、夕日に輝く山肌を眺めていると、北アルプスにいるのだという実感が込み上げてきた。やがて、歯の根が合わないくらいの寒さになってきたので、テン場に戻って、明日の笠が岳に向けて眠りに着いた。かなり疲労したので、明日の体調次第では、下山するつもりだった。 |
●4日目 起きて空を見上げると、今日も快晴だった。双六池の向こうにはクリアな空。その下には笠ヶ岳が見えた。行くしかない。心を決めて準備を始めた。水を汲みに行ってみると、正面に朝日を浴びた鷲羽岳が大きかった。すでに出発していく人が大勢いて、かなりの大集団も見受けられた。 |
テントを撤収し5:40ごろ出発。弓折岳へは細かいアップダウンのある道が続いた。左手には槍と穂高が眺め放題で、朝日をシルエットにした稜線が輝いて見えた。一帯は斜面にお花畑が続いていて飽きることがなかった(ミヤマクロユリ、クルマユリ、ハクサンフウロ、トリカブトなど)。鏡平へ向かう者、双六方面へ上がってくる者と、登山道は一部渋滞するような混雑だった。 |
混雑から逃げるように、笠ヶ岳方面の縦走路に入ると、かなり人が減って静かになった。弓折岳は目立たぬ広場状のピーク。ここから大ノマ乗越までは急斜面の降りだった。正面に大ノマ岳への登り返しが同じくらいの斜度で見えているので、かなり消沈するところだが、やはりお花畑が心を和ませてくれた(シナノキンバイ、ミヤマキンバイなど)。 |
乗越の鞍部からは急登になって、強くなり始めた日差しにあえぎながら登っていった。日焼けのせいで、厚くても長袖を脱ぐことが出来なかった。傍らには雪渓が残っていて、すぐ脇に芽吹き始めたバイケイソウの緑が鮮やかだった。定年後の趣味で山を歩いているという単独行の男性と知り合いになって、笠ヶ岳まで前後して歩くことになった。 |
大ノマ岳はちょっとした岩峰で眺めが良かった。槍・穂高が目の前に屏風のように連なっていた。これから目指す笠が岳まで続く稜線のラインは、緑と岩と雪渓の入り混じった鮮やかなコントラストを浮かび上がらせていた。遠くには黒部五郎や薬師も見えた。あのあたりをずっと歩いてきたのかと思うと、心の中に計り知れない感慨がうまれた。南方を見ると、雲海の上に焼岳、乗鞍岳、御嶽山が連なっているのが見えた。 |
秩父平までは小さなアップダウンが続いた。ハイマツ帯の中にミヤマダイモンジソウやミヤマコゴメグサが小さな花を咲かせていた。秩父平の上部には雪渓が残っていて、遠目にもその急斜面に人が取り付いて登っていくのが見えた。これからそこを登るのかと思うとわくわくする気分になった。 |
秩父平は開けたところで、休憩に丁度良かった。あたりはお花畑になっていた。ガレ場の登りをこなすと先ほど見た雪渓の下部へと出た。雪渓にはステップがきってあって、忠実に登っていけば困難なものではなかった。登りきったところが笠ヶ岳に続く稜線だった。抜戸岳を経て笠まで続くラインが実に伸びやかで優美だった。この辺りから見る笠ヶ岳は完璧で、小笠を従えた姿はほほえましい気分にさせてくれた。 |
笠新道分岐まで、稜線の道を快適に進んだ。蒲田川からガスが上がってきていたけれども、まだ笠までの稜線はしっかり見えていた。関西の人が分岐から抜戸岳に登れることを教えてくれた。今日はガスも上がってきたので、そのまま笠ヶ岳に進むことにした。 |
抜戸岩という大岩の間を抜けて最後の登りをこなすと笠ヶ岳山荘の下部に出た。そこから山荘までの斜面には雪渓が長く残っていた。登山道はその脇を通っていて、周辺がテントサイトになっていた。岩で囲われた城塞のようなテントサイトだった。荷物をデポして、山荘へと向かった。山荘までは10分ほど斜面を登らねばならず、上部は雪渓を斜めに横断していた。サイトにはトイレがないので、用を足すには一苦労しそうだった。辺りにはガスが出始めて、視界がきかなくなっていた。 |
正午に笠ヶ岳山荘到着。午後はゆっくり出来そうだ。まだ新しい感じのする小屋で受付を済ませ、同時にチューハイとワインを購入。その足で、山頂を踏みに出かけた。山頂へは岩の堆積の中を15分ほど。祠のある辺りからもう少し先へと辿ると、そこが笠ヶ岳の山頂だった。 |
ガスが出て何も見えない。風はなく、辺りにはアブだけが飛び回っている。この4日で始めて条件の悪い山頂になってしまった。しかし、展望は午前中の間十分楽しんだわけだし、何はともあれチューハイを開けて乾杯した。使用人の親父に渡されたチューハイはスイカ味とか言う代物で、残念ながらとても飲めたものではなかった。山頂では昼に知り合った年配の人が後からやってきて、なんと帰りに車に乗せてもらえるということで、大変ありがたくお世話になることにした。 |
往路をテントサイトに戻った。続々と人が上がってくる。笠ヶ岳も意外に混雑するようだ。水場はテントサイトから少し降ったところで、雪渓から豊富に流れ出ていた。頭を洗って喉を潤すと生き返るキモチだった。ちなみに小屋の水は雨水で、蛇口をひねるとかすかに出る程度。水を汲むならこちらの方が断然よさそうだった。 |
最終日なので、贅沢品のワインをちびちびとやる。ガスが漂う中ぼうっと酔っ払っては、時折「いままで歩いてきたんだ」という感慨が急に湧き上がっては消えていった。明日は下山かと思うとやはり寂しくもあった。最終日の夕飯はカレー。米は毎晩美味しく炊けたので、お蔭でほとんどダイエットにはならなかったようだ。 |
往復15分のトイレを済ませ就寝。夜中は雨がけっこう強く降った。遠くで雷も鳴っていた。エスパーステントにして初めての大雨だったが、特に浸水することはなかった。若者の叫ぶ声が遠くに聞こえて、「大丈夫かー?」とか「戻れー」とか言っているのが不安を掻きたてた。しばらくするとそれもおさまって、また眠りにつくことが出来た。それが何の騒ぎだったのかはわからずじまいだった。 |
●5日目 最終日の目覚め。少し酒を飲みすぎたのかだるい感じがする。テントから顔を出すと、辺りがガス一色。今日辺りから天気が下り坂ということだったので、あまりガックリもしなかった。それでもいままでの朝のように、わっと盛り上がる気持ちもなく、やはりこれだけ縦走して下山する日の気分というのはこういうものなのだろうか? |
今日は6時にYさんと一緒に下山する予定。5時前にトイレにあがってみると、大行列になっている。待てば解消するだろうと思ったのが甘く30分たっても人が次々と並んで、一行に列が短くならなかった。今回の山行でトイレがこんなに混んだのは初めてだ。やがてYさんが出てきて、並ばないと入れないからといわれ、小屋内に入って並ぶことにした。その間、用を足しに上がってきたテントの住人が、同様にショックを受けて帰っていくのを何人か目撃した。彼らはその後どうしたのか? 幕営者には辛いテント場だと思った。 |
トイレ渋滞のお蔭で撤収もあわただしく、なんとか6時過ぎに出発することが出来た。水を汲む暇もなかったが、昨日汲んだ量で何とかしのぐしかない。幸いにもYさんと共にサイトを出発する頃には、ガスがとれかかっていた。笠新道の分岐へと辿るうち、笠ヶ岳もすっかりその姿を現して、颯爽と雲をたなびかせる姿がすがすがしかった。正面には黒部五郎や薬師も見えてきて、最終日の労をねぎらってくれているかのようだった。杓子平へと降る前に、その光景をしっかりと目に焼き付けてから背中を向けた。 |
いよいよ笠新道の降り。急坂が長時間続くということで、足を壊さないようにゆっくりとガレ場を降りていく。所々ぬかるみや岩の濡れた箇所があって油断ならなかった。もう登ってくる人がいて、下を午前2時半に出たとのことだった。 |
いったん平たくなった箇所が杓子平。お花畑になっていて、雪渓の溶け出した沢水の音が遠くから聞こえている。見上げると抜戸岳から笠ヶ岳への稜線が連なっていたけれども、どこが笠なのか判然としなかった。本当に最後の展望に後ろ髪を引かれつつ、笠新道の一気の降りに突入していった。 |
ここから3時間、大きなゴロ石と木の根の混じった急坂が、小池新道との合流地点まで続いた。途中にはお花畑になっている箇所があって、ニッコウキスゲ、ササユリ、ギボウシ、ミヤマシシウド、シモツケソウなどが鮮やかに咲き誇っていた。日差しが差すとかなり暑かった。何人もの人が登っていくのとすれ違った。みな喘ぎながら登っていく様子だった。 |
道の下半分は樹林帯で、蒲田川が見えてからがいっそう長く感じられた。結局楽に歩けるような箇所はほとんどなく、大きな段差の連続に足を破壊されてようやく小池新道へとたどり着いた。道端には湧水があって、ここで飲んだ水の味はまた格別だった。あたりには10数人の人たちが休憩していた。 |
現在11時半。松本16:38発の普通電車で帰るつもりなのでそれほど余裕はない。余韻に浸るまもなく、Yさんと連れ立って新穂高目指して歩いていった。Yさんには温泉によって頂いた後、新島々まで送ってもらう予定だった。新穂高までの林道歩きの途中で通り雨にあった。山中では一度も雨に遭わなかったので、ある意味ラッキーというべきか...止んだあとザックカバーを外していると、鷲羽岳で知り合った人が声をかけて通り過ぎていった。何だか飄々とした山男らしい人だった。 |
新穂高温泉到着。普通の観光客が歩いている。それは当然のことなのだけど、登山姿以外の人を見るのが無性に不思議な気分だった。公衆電話を探してBに下山報告をした。仕事中のBはたまたま昼休みだったので会話することが出来て、そのことでようやく下山の実感がわいてきた。 |
無料のアルペン浴場は混雑している模様。少し離れた槍見館に行こうということになった。Yさんは電車の時間を気遣ってくれているようで、かなり急ぎ足で、無料の駐車場まで二人して歩いた。車で5分ほど。奥まった位置にある、槍見館は立派な旅館だった(入浴料800円)。ここは笠ヶ岳への、もうひとつの登山口になっている。風呂場は内湯は使えないとのことで、露天のお湯(山男の湯)で直接体を洗うことになった。あわただしい入浴になってしまったが、5日間の山行の疲れを洗い流すには充分なほど贅沢なお湯だった。 |
最後、Yさんと食事をしたいということで、新島々までの途中で蕎麦屋によって天ぷらそばを食べた。ここで飲んだビールは格別にうまかった。あとはYさんに道すがらいろいろな山話や上高地付近の情報を教えて貰いながらのあっという間の車旅だった。新島々の駅前で下車。発車間際の松本行きの電車に大行列が出来ていて、あわただしくなってしまい、ろくにお礼も言えないまま、お別れとなってしまった。本当にありがとう御座いました。 |
松本には16時ごろ到着。ここからは青春18キップの旅で、家に着くのは22時過ぎになる予定だった。明日は出社なので、電車の中で十分休みながら帰るつもりだった。お土産と酒を買い込んで大月行きに乗って時刻どおり発車。ほっとしたのもつかの間。1時間ほどで、何と大雨で電車が富士見どまりになったというアナウンスが。しかたないので、茅野で下車。どうやら韮崎の辺りがかなりひどい雨らしい。 |
雨が通り過ぎるのを待つけれども一向に止む気配がない。茅野の外も大荒れで、ものすごい雷鳴が鳴り響いている。特急電車も不通。駅員の説明では当分回復の見込みがないという。隣に座っていた年配の登山者のひととぼやきながら、その後の算段をなんとか考ええようとした。 |
結局、不通電車が動き出したのは20時過ぎ。これものろのろ運転で、今日中には帰り着けないとの覚悟が決まった。茅野で知り合ったひとが石和温泉に住んでいて、独り身だから一晩泊めてくれると言うので、ずうずうしいのは承知ながらも、一晩ご厄介になることにした。甲府で1時間ほど待ち合わせた後、石和温泉の駅に着いたのは11時近くだった。 |
泊めてくれた人も相当山歴が長いようで、北アルプスや山梨周辺の山の話をいろいろと聞くことが出来た。その日は、久々に布団の上で快適な一夜を過ごして、早朝石和温泉を出発。このご時世、見ず知らずの方の親切に感動を覚えながらの帰京となった。通勤ラッシュに巻き込まれながら、何とか帰宅。午後から会社に出社し、今回の長かった山行に終わりを告げた。顔に刻まれた深い日焼けの跡も、何かしら誇らしく思えた。 |