1998年11月1日(日) 曇りのち晴れ
日帰り 同行1名
●ワンポイント
なんといっても鍋焼きうどん。ここにいったらこれだけは一度食べときましょう。具だくさんです。 |
●写真
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●交通
往路 | JR | 蒲田6:46 − 横浜7:08 |
相鉄 | 横浜7:12 − 海老名7:45 | |
小田急 | 海老名7:50 − 渋沢8:17 | |
神奈川中央交通バス | 渋沢駅北口8:40 − 大倉8:57 |
復路 | 神奈川中央交通バス | 大倉16:18 − 渋沢駅北口16:33 |
小田急 | 渋沢16:37 − 海老名17:05 | |
相鉄 | 海老名17:15 − 横浜17:48 | |
JR | 横浜17:53 − 蒲田18:15 |
●山行:(歩行時間6:11)
大倉9:00-二俣10:10-後沢乗越10:55-鍋割山山頂11:56-(休憩54分)-山頂出発12:56-金冷シ13:55-花立山荘14:11-大倉16:05 |
●記録文
今回は大倉を起点にし丹沢の鍋割山を周回コースで登った。ここに行くとき、何が楽しみといって、鍋割山荘の鍋焼きうどんを食べることのほかにはないだろう(笑)。塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳を結ぶ丹沢の主脈からはずれてはいるが、人出の多いこの山。それには鍋割山荘の魅力的な存在が一役買っているようだ。またそれだけでなく、鍋割山は富士山・箱根・丹沢核心部の絶好の展望台といえる。晴れた日にはそんな景色を眺めながら山頂付近のカヤトでトカゲを決め込むのもよさそうだ。今日はそうした晴天を期待しながら、紅葉に色づいているはずの鍋割山を目指した。 |
東京近郊の通勤路線を乗り継いで自宅から2時間弱。小田急の渋沢駅につくと正面にそびえる丹沢山塊に圧倒され、いやがうえにも登高欲をそそられる。大倉行きのバス停にはすでにかなりの登山客が行列していた。これを見るなりダッシュでセブンイレブンに突入。朝飯を購入し列の最後尾についておにぎりを食べる。待ち時間は20分ほどだったがその間に行列は3倍くらいに膨れ上がり、ついには100人ぐらいになってしまった。紅葉の時期と秋の飛び石連休という条件が重なったので当然といえば当然か。 |
バスに乗ると15分ほどで大倉につく。今年神奈川ゆめ国体が開催されたせいなのか、あたりは見違えるように整備されており、トイレもきれいだ。バス停付近には売店が一軒と食事処が一軒ある。また、大倉一帯には農家の野菜直売所が多数あり、なんでもかんでも100円で売っているので、今年のような野菜が高騰しているときには重宝だろう。ドロつきのぶっとい長ねぎ3本が100円。これは安い!! |
さて、バス停から大倉尾根へと続く車道を少し行き、「大倉山荘」とある空家のカドを左折、塔ノ岳へ向かう道と分かれ西山林道を目指す。畑沿いに歩き農家の脇の私道のようなところに入っていく。この辺は少しわかりづらい。うっそうとした林の中を15分ほど行くと西山林道に合流。ここから1時間強の林道歩きが始まる。前回はここを下りルートに使ったのだが、はっきり言ってこの林道の長さにはうんざりした。 |
さしたる楽しみもなくゲートのある林道との交差を過ぎるとやがて二俣と呼ばれる場所につく。途中、黄色い模様のある鳥が飛んでいたので、なんだろう? と同行のBに聞くと「キビタキじゃないかなー」と言う。また、こんな山中に唐突に銅像が立っていたりして驚かされる。見ると日本山岳協会始祖の銅像らしい。なんでこんなところに銅像を立てたのかはわからない。まあ、登山者に見てもらえば本望というところか? 二俣周辺には登山者の車が多数路肩に駐車していた。マイカーが入れるのはここまでである。車で二俣までの林道歩きをカットすれば精神的にかなり楽だろう。 |
二俣を過ぎると本沢、ミズヒ沢と水量が豊富な2本の沢を渡る。昨日山小屋に泊まったらしいグループが何組か休んでいて、顔を洗ったり歯を磨いたりしている。ミズヒ沢の上流には有名な滝(ミズヒの大滝)があるらしいのだが、今回は寄らずに山頂を目指した。このあたりでようやく林道から開放され、山道へと進んでいく。やれやれだ。林道の終点には鍋割山荘へ登山者がボランティアで運ぶペットボトルの水が多数用意してあった。これをザックの外に括り付けたりして鍋割山荘まであげるのがささやかなステータスになっているようだ。 |
ここからの山道はいままでの傾斜がたいしたことなかった分急である。600mの高度を一気に稼ぐことになるのだ。後沢乗越につくと、3週間ぶりの登山になるわたしは完璧に息が上がってしまった。ここのところ土日になると天候が悪く家で悶々としていたためだ。後沢乗越は寄(やどろぎ)方面への分岐で、寄からは、大倉よりは本数は少ないものの松田駅へのバスが出ているので下山ルートにも使えそうだ。われわれはここで水を飲み、こんにゃく畑を食べて元気を出すと、再び急な登りにかかった。ここから鍋割山までは約1時間の行程である。よっこらしょと歩き出すが、それにしても今日はとにかく登山客が多い。まるで高尾山のようだ。所々行列になったりする。しかし道端に咲いている鮮やかなリンドウを見たり、新鮮な空気を大きく吸い込んだりすると気持ちも否応無しに和んでくる。 |
なだらかな鍋割山の山頂は下から見るとなかなか本当のピークが現れず気をもませる。傾斜が緩やかになり景色を見る余裕も出てきて左手を見やると、雪をかぶった富士山がなんと巨大なことか。手前の山群がふもとの霞の上に黒く重なり合って幻想的な景色をかもし出している。左手前には箱根の明神ヶ岳や金時山が見えた。Bは「孫悟空が飛んできそうな景色だ」と言って喜んだ。あたりのカヤトではいくつものグループが足を休め、昼食にしたり、昼寝をしたりしている。朝は曇りがちだった天気がいつのまにか暖かい日差しに変わり、そこここに日溜りを作っている。もっとも急坂を登ってきたばかりのわれわれにこの日差しはすこし暑すぎるくらいだったが。しかし風が吹けば心地よく、山に登っていてよかったなー、と実感するのはまさにこんなときである。 |
そうして天国のようになった山頂一帯のカヤト地帯を10分ほど歩いて、とうとう鍋割山頂に到着した。到着するなりわれわれは鍋割山荘に直行。まずは景色よりビールと鍋焼きうどんである(笑)。鍋割山荘は大繁盛のようで小屋の人たちは忙しそうに働いている。とくに鍋焼きうどんの注文は昼時ということもあってかひっきりなしに入っていた。鍋割山荘オリジナルのTシャツも売れているようだ。小屋の中には登山者が残した写真や絵や歌が所狭しと貼ってあり、鍋割山荘の雰囲気を独特のものにしている。特に目を引いたのはプロパンガス2本を担ぎ上げたご主人をとらえた写真である。最高重量114Kと書いてある。これを下から担ぎ上げたということだと思うが、あの細そうな体のどこにその強靭なパワーがあるのかふしぎだ。 |
さて、お目当ての鍋焼きうどんであるが、900円でエノキ・シメジ・たまご・かぼちゃのてんぷらなどが入っておりボリュームも満点で、われわれにはもてあますほどの食べ応えがあった。値段も良心的、味も量も言うことなしの大満足だ。鍋割山で鍋焼きうどん。この図式は鍋割山荘ある限り不変である。 |
うどんに満足して外に出ると、山頂一帯は大混雑で100人以上の人々が思い思いに休んでいた。とはいっても山頂は広く、休むスペースは十分にある。シカのフンに注意しつつ、西面のカヤトに横になる。20分ほど休憩し胃袋で踊る鍋焼きうどんを鎮めた後、鍋割山頂を去り、金冷シ方面へと進む。往きに通った後沢乗越から寄へ下るルートも考えていたが、天気もいいし時間があれば塔ノ岳へも登るつもりでこちらのルートをとる。これが功を奏して今回は蛭ヶ岳周辺の丹沢核心部を眺めることができた。今回は、というのは、前回逆コースで塔ノ岳〜鍋割山と登ったときにはあまり天候に恵まれず、ほとんど景色を見ていないからだ。雨天時の幻想的な雰囲気もよいが、やはり晴れて展望が得られたときの感動は格別だ。 |
鍋焼きうどんで太り、ビールが回って足にきているわれわれの歩みは遅く、大倉尾根との合流ポイント"金冷シ"までのアップダウンは1時間以上かかった。この辺り一帯は酸性雨の影響をもろに受けて樹が立ち枯れているところが多数ある。丹沢では山域全体がこうした問題を抱えているという。最近では環境改善を求めるデモ行進なども行われているらしい。さて、時計を見るとそろそろ14時を回ろうというところ。無理して塔ノ岳を往復することもできるが、今日は早めに大倉尾根をくだることにした。 |
下りルートの大倉尾根は恐怖の階段尾根である。とにかく延々階段が続く。前回はここを登りに使い嫌気がさしたが、下りも同じことだろう。これに備えて、金冷シから15分ほど下った花立山荘でかき氷を食べようと思ったら、もう売り切れとのことでがっかりした。花立山荘はあたらしくきれいな山荘で、以前寄ったときはそれほど人も多くなくゆっくりとおしるこをご馳走になった。話好きのご主人が「米を担いで来てくれたら高く買うよ」と言っていたが今はどうだろうか? ここで最後の展望を楽しみ、後はひたすら木段の急降下。よくこれだけ作ったものだ、と感心とも不平ともつかないせりふが口をついて出てしまう。所々石が敷き詰められていたりして、これがつるつるに磨り減っているのでまた滑りやすい。半分も下らないうちに足はがくがくになっていた。いくつかある途中の小屋も、前回は開いていなかったが今日は営業している。かきいれどきなのだろう。花立山荘のご主人の話によると、大倉から登ってきはしたもののこうした途中の山荘で酔っ払って下っていってしまう者、あるいは小屋番自身が途中の山荘に呼び止められて宴会になり、自分の小屋は結局開かずじまいになることなどもあるそうだ(笑)。 |
傾斜も緩やかになり、感じのいい窯元の前を通りすぎる。だいぶ人の匂いがしてきたな、と思うと道はやがて舗装道になり、朝左折した大倉山荘の空家の前に出る。大倉のバス停に向かいながら、道端の野菜直売所をいくつかのぞいてみるとネギは全部売り切れて、残っているのはイモ類ばかりだった。バス停は、今日の混雑振りから予想できたことだが、大行列だった。幸い16時台のバスは4本もあり、16:10発の後は16:18発だったので一本乗り過ごして、着替えたり酒を飲んでゆっくりとした。後でわかったことだが、渋沢駅の売店では酒を売っておらず、大倉で補給しておけばよかったと大後悔をする羽目になった。山に行った後の酒ほどうまいものはないからである。 |