山に行こう 山行記録 庚申山〜皇海山

庚申山〜皇海山

庚申山(標高1892m・栃木県)
皇海山(標高2144m・栃木県/群馬県)

2004年5月6日(木) 晴れ〜5月7日(金)晴れ〜5月8日(土)晴れ時々曇り
庚申山荘2泊 単独

●写真

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●交通

往路JR蒲田6:30 − 新橋6:47
都営地下鉄新橋6:53 − 浅草7:06
東武鉄道浅草7:40 − 相老9:23
わたらせ渓谷鉄道相老9:45 − 通洞10:55
タクシー通洞駅11:03 − 銀山平11:18

復路タクシー銀山平12:20 − 通洞駅12:35
わたらせ渓谷鉄道通洞13:22 − 相老14:33
東武鉄道相老14:40 − 浅草16:23
東京メトロ浅草16:26 − 新橋16:44
JR新橋16:46 − 蒲田17:03

●山行

1日目(歩行時間2:41)
銀山平11:45-一の鳥居13:01-休憩19分-一の鳥居発13:20-百丁目13:50-休憩9分-百丁目発13:59-庚申山荘14:54
2日目(歩行時間9:14)
庚申山荘5:13-途中休憩5分-庚申山6:21-鋸山8:34-休憩5分-鋸山発8:39-不動沢のコル9:12-休憩5分-不動沢のコル発9:17-途中休憩10分-皇海山10:23-休憩10分-皇海山発10:33-不動沢のコル11:09-休憩11分-不動沢のコル発11:20-鋸山12:01-休憩4分-鋸山発12:05-六林班峠13:09-休憩3分-六林班峠発13:12-途中休憩20分-庚申山荘15:40
3日目(歩行時間2:30)
庚申山荘6:11-天下見晴6:29-休憩78分-天下見晴7:47-庚申山荘8:05-撤収30分-庚申山荘発8:35-百丁目9:13-休憩10分-百丁目発9:23-庚申七滝9:43-休憩12分-庚申七滝発9:55-かじか荘10:51

●記録文

●1日目

今年はGWにくっつける形で、平日2日間を休みにすることができた。ちょうど晴れそうなので、5/6〜8の2泊3日で皇海山まで出かけることにした。2日目に頑張れば1泊2日でも可能なのだが、せっかく遠くまで行くのだし、ゆとりのあるプランで深山の雰囲気を楽しんでくることにした。足尾の山は一昨年袈裟丸山に登って以来だ。あの時も春で、麓の花々は満開だった。景色や人、街並など、わたらせ渓谷鉄道沿いには、何か郷愁を感じるような素朴さがある。
今回は浅草発、東武のりょうもう号で相老乗り換え。鈍行で行ってもよいのだけど、なんだか体調がいまいちだったので、1000円プラスして特急にしてしまった。それでもJRの鈍行で桐生まで行くのと、トータル的には変わらない金額だ。となれば乗換えや座席の具合からして、JRで行くよりりょうもう号のほうが楽だろう。りょうもう号は全席指定。乗車率はそれなりで、少し早めに浅草にいっておいて正解だった。
相老は特急が着くとは思えないようなローカル駅。売店もない。予報では晴れるはずの曇り空を眺めながら、間藤行きの電車を待つ。やってきた電車は一両編成で、座席は半分埋まるくらいの状態だった。沿線沿いの花は終わりかけ。代わりに新緑が見ごろを迎えていた。沢入から原向の間は渓谷の御影石が面白い。
通洞で電車を降りると、待ってましたとばかりにタクシーの運転手に声をかけられる。駅前には3台のタクシーが客待ちをしている。「後で寄るので」と声をかけておいて、まずは駅前の肉屋へ。コロッケがうまいといううわさなので、昼飯代わりに食べていこうという魂胆なのだ...ったのだが、揚がるのは1時間後とのこと。それまで待てないので、残念ながら明後日までおあずけになってしまった。駅に戻りタクシーに乗って銀山平まで上がる。原向駅から歩くこともできるようだけど、やはり体調いまいちということで金の力を借りる。2090円也。
銀山平はオートキャンプの施設になっていて、ログハウスなどもある。公衆トイレも借りることができた。今日は平日なので全く人気がない。管理所の前でパンをかじって腹ごしらえする。人のよさそうな管理人の人に話しかけられて、皇海山に登ると言うと、「一人で大丈夫かなぁ。今日は(入山者は)誰もいないよ」とおどかされてしまった。注意点としては、「鋸山で用を足しに行ったまま(崖から落ちて?)帰ってこなかった人がいる」、「一の鳥居あたりでも、クマやイノシシが出る」、「鋸山から六林班峠の間はササヤブで、シカ道が錯綜したりしてかなり迷いやすい。5−6年前に行方不明になっていまだに見つかっていない人がいる」とのこと。以上を踏まえて、かじか荘先の入山届けをちゃんと書いていけ、とのことだったので素直に従った。
帰りに一風呂浴びる予定のかじか荘を見て出発。入浴時間は10:30〜18:00とのことだった。そこから先は建物もなく、しばらくは山腹の舗装路を登っていくが、やがてゲートの先から砂利の林道になった。庚申渓谷の新緑が目にしみるようだ。ツツジもちらほら咲いている。奥多摩やら丹沢の山と違って植林がまったくなく、ほとんどが自然林。紅葉の時期もきっとすばらしいのだろう。
途中、天狗の投石という奇岩のあるところを通って、さらに30分ほど。長い林道の終点が一の鳥居だった。ここまで林道を敷いたのは観光用だろうか? 少し行った先に庚申七滝がある。階段があるので下まで降りて見上げることができた。曇りがちだった空が晴れてきて、青空が広がり始めた。
一の鳥居をくぐって、ようやく山道となる。新緑の木漏れ日の中を沢音を聞きながら緩やかに登っていく。途中、カエルが大量に群れている小沢があって、活発に争奪戦を繰り広げていた。野鳥も多く、数種類の鳥を見、鳴き声を聞きながら登る。暑くも無く寒くも無く、爽やかな風が心地よい。小広い平地の百丁目で小休止。信仰の山だけあって丁目石が置かれているのだ。羊羹をかじって補給した。
名前の付けられた奇岩がいくつかあり、鏡石もそのひとつ。ここで写真を撮っていると、年配の単独の人が追いついてきた。コースは自分と一緒で、明日皇海山に登るという。このNさんとはこの後何とはなしに行動を共にすることになった。鏡石から先勾配が若干急になるも、すぐに猿田彦神社跡に出た。昭和29年に火事で消失とある。奥に社の屋根だけが崩れ落ちていた。歴史のある社だけあってなんとなく気を感じる場所だった。
そこから左手に数分登った先が今夜の宿、庚申山荘だった。見かけも立派、中も立派、設備も立派である。トイレもきれいで、水場の水量もなかなか。内部には水を引いた炊事場もあるし、布団も数十人分はあるという巨大な小屋だ。素泊まり2000円。そういえば、有料の小屋に泊まるのはこれが初めてかもしれない。宿泊名簿を見ると、人が多いのは6月から11月で、特に6月と10月が混雑するようだった。とはいっても、この小屋が満員になるような人数ではなく、多くても2−30人程度なのだろう。
今日は先客の登山者も、管理人もおらず、その後誰も到着しなかったため小屋はNさんと二人で独占となった。外のベンチで酒を飲み、庚申山の断崖を眺め、日が暮れるまで山の話や世間話で盛り上がった。やがて寒くなってきたので夕飯は山荘内のテーブルで。炊き立ての米に鮭缶、山ではこの上ない贅沢だった。明日5時出発という約束をし、2Fにあがって就寝。2Fは昼間だいぶ気温があがるようで、布団が湿っぽいということはなかった。大広間に二人きり、ゆったりと睡眠をとることができた。
●二日目

4時起床。小屋内の気温は12度。外は6度だ。1Fに降りてNさんと朝食をとる。昨日の残りの冷や飯にお湯を注いで梅干茶漬けにした。食後にNさんにコーヒーをご馳走になった。今日は鎖場も多いようなので、余計な荷は小屋において、サブザックに荷物を詰めた。日の出と共に5時過ぎに出発。
まずは小屋の背後に見えていた断崖を斜めに登って高度を上げていく。崖の下をくぐり奇岩を乗り越え桟道を渡っていくと、ここが信仰によって開かれた道であることが分かる。朝日が降り注いで岩が朱色に染まる。道は小一時間ほど断崖の間を縫って、やがて山頂付近の丘陵地帯に出た。針葉樹に覆われた緩やかな森の中を歩いて行くと、森の一角が庚申山の山頂だった。ひっそりとして展望はない。Nさんと共に記念撮影をして先に進むと、開けた箇所があって、そこでいっきに展望が開けた。目指す皇海山が目の前にドーンと聳えている。この位置からの写真は何度か見ていたが、やはり大きい。これからその巨体に向かって行くかと思うと、いやがおうでも気分が高まった。
ここからしばらくは樹林帯でいくつかの小ピークを越えて行った。時折展望が開けると左手に袈裟丸連峰も見え始めた。途中道が笹原に埋もれて迷う箇所があった。目印をよく確認して進んだ。やがて尾根が徐々に痩せて行き、鋸十一峰の核心部へと到達。鎖場、ロープ、ハシゴの登降を繰り返して行く。尾根の右側はすっぱりと切れ落ちていて、かなり高度感のある箇所もあった。複数の鎖場が連続して、腕力も必要なところだ。しかし、岩峰の上から望む皇海山は着実に我々との距離を縮めている。
難所をクリアしたどり着いた鋸山からは、目指す皇海山がもう目の前で、まさにその懐に飛び込んだかのようだった。眼下に広がる原生林が荒々しい。ここから見る皇海山は左手に尾根を延ばしてさらに図体がでかくなっていた。皇海山の向こうには日光白根山や男体山が連なっている。尾瀬や谷川、赤城の山も見えているようだ。
コースタイムは途中難渋したせいか少しオーバー気味。満足な休憩も取れず、不動沢のコルへの急降下が始まった。この降り、一部かなりの急斜面があって、雪のついている箇所もある。ロープのかかる岩場もあるし、鋸山をクリアしたとはいえまだまだ気を抜くわけには行かなかった。快晴で日差しが降り注いでいるのだけど、群馬側からの風がけっこう冷たかった。
不動沢のコルで小休止。ここは皇海山への最短ルートでもある皇海橋からのコースとの合流地点だ。ここから先少しは人気があると思ったのだが誰もいない。目の前にはたった今歩いてきた鋸十一峰が、カサゴの背びれのようなギザギザを持ち上げている。
コルから皇海山山頂までは原生林の中の急斜面を1時間ほど頑張らなくてはいけない。所々雪が残ってはいたが、アイゼンやワカンが必要な状態ではなかった。ここまで歩き通しだったためNさんがシャリバテとなった。歩みがガクンと遅くなったので途中で昼飯にして、ガソリンを補給した。
山頂近くで、単独の男性が下山してきた。皇海橋から往復だという。山頂はもうすぐとのことだった。やがて傾斜も緩くなって、青銅剣のある先が皇海山山頂だった。10畳ほどのスペースが切り開きになっている。頭上は明るいが、樹林に囲まれて展望はなかった。地面にはちょっと似つかわしくないほどの、立派な標柱が立っていた。笑ってしまうほど地味な山頂なのだけど、鋸山を越えてきた私にはひとつの野性を攻略したかのような達成感があった。山頂にあとからやってきた単独の人がいて、聞けば銀山平から日帰りで往復、とのこと。健脚とはこういう人のことを言うのだろうなぁ、と思った。
ゆっくり休憩でも取りたいところなのだが、この後の行程を考えるとそうもしていられなかった。不動沢のコルまでいったん下り、再び鋸山まで急斜面を登り返す。そして次は笹薮の中を六林班峠へ。そして2時間に渡る庚申山荘へのトラバースが待っていた。15分ほどの山頂滞在で皇海山を後にした。
補給が効いたせいか、コルまでは順調なペースで降ることが出来た。鋸山から下ってきた人がいて、挨拶を交わす。この人は皇海橋から沢筋を間違えて藪漕ぎをしながら鋸山の南側の道に登り着いたらしい。何事も無かったかのようにそれを話すこの人もそれなりのつわものなのかもしれない。山頂で一緒だった銀山平日帰り往復のつわものにもここで追いつかれて、あっという間に鋸山方面へ消えて行ってしまった。
鋸山への急斜面の登り返しは、鎖場で破壊された体にはけっこう酷で、荷は軽いのに歩みは進まなかった。雪渓や岩場を攀じて鋸山にたどり着くころには、重い疲労を感じはじめていた。しかし振り返ると先ほど征服した皇海山がそこに横たわっていて、この山行の残りの行程も充実するだろうことを約束しているかのようだった。
鋸山からの降り始めは笹につかまりながらの急降下。すぐに道は緩い降りになるのだけど、そのあとは笹薮との戦いになった。道が笹に埋もれて、方向が分からなくなる場面が何ヶ所もあった。その都度目印を確認しながら笹を掻き分けて行く。しかし核心部ではその目印も乏しく、難渋した。銀山平の管理人に教えてもらった通り、鹿道も錯綜して、迷い込むこともあった。基本的には尾根どおしに歩くのが正解なのだったが。Nさんと声をかけながら、慎重に道を選んで行った。精神的に擦り減る道だった。
突如真新しい刈り払いのされた道になって、いきなりなんだろうと思っていると、そのすぐ先が六林班峠だった。どうやら六林班峠付近までは、笹の刈り払いが行われているようだ。六林班峠は笹原の広い斜面で、ここにテントを張る人もいるとのことだが、一体どこに張るのだろうか? 大きな雪渓が残っているので、その辺りに張るのかな? 袈裟丸方面の縦走路を見やると、笹に埋もれて道らしきものはうかがえず、難易度は更に高そうだった。自宅の古い本で確認したところ、ここから庚申七滝まで続く道もあるようだが、今も通れるのかは分からない。
短い休憩ののち、庚申山荘へと降り始めた。降りといってもその傾斜はかなり緩い。道は何本もの沢をヘアピンカーブのようにくねくねと渡って行くので、歩いた距離のわりには、ゴールがなかなか近づかない。ここらで疲労を感じた私は、本日下山で急ぐというNさんには先に行って貰い、休みながらゆっくり山荘まで歩くことにした。庚申山荘にもう一泊するのだから、時間的余裕はある。腰をおろして沢音を聞くと、激しかった山行のなかで、初めて静かな休息の時を得ることが出来た。
庚申山荘への道は鋸山から庚申山にかけての山腹を無数の沢をまたぎながら巻いていく道。単調で緩やかなくだりなのだけど、これまでの行程で足を使い果たした身には苦行のような長さだった。Nさんと別れたことでどっと疲れが出てきた気もする。20分おきくらいに休憩を入れながらゆっくり歩いた。休みながら景色を眺めると白樺や笹原が明るくてきれいだった。野鳥も多く数種類の鳥が方々でさえずっていた。歩き始めると、頭の中は小屋にあるビールのことでいっぱいになった。
やがて芽吹き始めの唐松林を抜けた先が、天下見晴への分岐。今日は疲れたし、ここには明日寄ることにしよう。ちょっとした登りでも苦痛になりはじめている。ちらほらとアカヤシオが咲く林を抜け、最後の気力でついに庚申山荘にたどり着いた。やり遂げたー、という達成感とともに小屋の中へ。そこではNさんが丁度出発の準備をしているところだった。20分ほど前に着いたという。小屋にはほかに誰もおらず、どうやら今日は一人で泊まることになりそうだ。Nさんとは健闘をたたえあい小屋の前で握手をして分かれた。遠ざかっていくNさんの後姿を見送りながらビールを飲んだ。腹に染み渡る苦さだった。
その夜の宿泊者は結局自分ひとり。鹿の足音や鳴き声をともにしながらの一夜となった。夜半ガタガタ物音がするので目が覚めた。どうやら鹿が小屋のテラスまで上がってきているらしい。今この辺りにいる人間は自分だけなのだと思うと、少し心臓がどきどきした。
●三日目

今日は寝坊で5時起床。ラジオで聞いた予報では天気は下り坂とのことだったが、外を見ると快晴だった。布団をたたみ1Fへ降りる。室温は昨日と同じ12度で暖かい。外に出ると小屋の背後の岸壁に朝日が当たって輝いていた。
朝食を済ませ、天下見晴まで最後の展望を楽しみに行く。なにせ昨日がハードな山行だったので、今日は少し贅沢に時間を使ってやろうというつもりだ。朝のすがすがしい空気の中を、分岐まで行って天下見晴への道に入ると、そこはアカヤシオが満開のプロムナードとなっていた。ほかの場所でもちらほら見かけはしたが、これだけたくさんの株のあるところはなかった。なんだか得した気分で、見晴へと進んだ。
先端の岩場を登ると、そこが天下見晴だった。露岩の上に立つと庚申山、袈裟丸山が正面に見えて、一気に開放的な眺めが広がった。鋸山の先端も見えている。六林班峠からずっと歩いた道のりも一望できて感慨深かった。あたりには無数の鳥の鳴き声がしていた。眼下には原生林が広がっている。あー、山にいるんだなぁ、という実感が喜びとなって心の中を満たしていった。そこに座ってぼうっと過ごす贅沢。1時間以上滞在し、後ろ髪を引かれながら小屋へと戻った。
小屋前のベンチでは日帰りの登山者がパンを食べていた。かなりの軽装で、ひょっとするとこれから皇海山を往復するのかもしれない。今日は土曜だから、それなりに人が入ってくるのだろう。自分はこれから下山を残すのみ。荷物をまとめ、小屋の戸締りをして外に出た。振り返ってもう一度小屋を見上げると、ああ皇海山に登ったんだ、という感慨が確かなものとなってこみ上げてきた。
下山は銀山平までおととい通った道を戻る。途中何組かの登山者とすれ違った。そのうち泊まり装備の人は一組だけだった。庚申山往復の人が多いのかもしれない。そんな人たちと挨拶を交わしながら、新緑を愛で、鳥の鳴き声を聞きながら、ゆっくりと降っていった。庚申七滝で涼を得て、一の鳥居から林道のくだりを1時間強。2日ぶりに銀山平へと戻ってきた。
かじか荘の温泉は600円也。3日間の山旅の汗をさっぱりと流し、新緑の庚申渓谷を見ながら露天風呂につかった。ぬるっとしたお湯で温度は丁度良く、ゆっくりと疲れた筋肉をほぐすことが出来た。風呂から上がってタクシーが来るまでの間、食堂でビールを飲みながらそばを食べた。宿の人は皆気さくそうな感じで、山の話もすることが出来た。
12時半に銀山平のキャンプ場にタクシーを呼んだので、少し早めに出て管理人の人に声をかけることにした。管理事務所で挨拶すると、向こうもこちらを覚えてくれていたようで、無事に下山したことを喜んでくれた。教えて貰ったとおり、六林班峠への道は迷いやすかった、と言うと、「標識をもっと整備するように言っておくよ」と人のよさそうな笑顔が返ってきた。「管理事務所にも宿泊施設があるから、次は泊まっていきな」とすすめられた。
タクシーで通洞駅に戻り(2590円也)、一昨日買えなかったコロッケを買いに肉屋に直行。タイミング悪くコロッケは売切れだったのだが、予約でとってあった分を優遇して3つ分けてもらえた。ほかにメンチを4つ購入。一つはソースをかけてもらって、駅舎で食べた。肉のうまみがたっぷりと味わえるメンチで、あっという間に平らげてしまった。残りはBへのお土産だ。肉屋のすぐそばの酒屋では、チューハイと地酒の「皇海山(360ml)」を3本購入。ここでも地元の人に声をかけられて、本当にこの辺りの人の気さくな人柄が、東京疲れした心にしみた。
通洞駅で聞くと、東武のキップは相老駅でしか買えないとのことなので、とりあえず、わたらせ渓谷鉄道の切符を買うと、今では珍しい硬券に鋏が入っていて、思わず写真に収めてしまった。やってきた電車は土曜のためか2両編成。ゆったりと座れて出発。さっき買った地酒「皇海山」を飲みながら、心地よい山旅の疲労感とともに東京への帰路に着いた。
1週間後足尾町から庚申山荘の領収書が届いた。

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(C)2004 Kazushige Koai