山に行こう 山行記録 立山〜剱岳

立山〜剱岳

立山:大汝山(標高3015m・富山県)
剱岳(標高2999m・富山県)

2006年8月11日(金) 晴れ
2006年8月12日(土) 曇りのち雷雨のち晴れ
2006年8月13日(日) 晴れ

前夜東京発 テント2泊 同行1名

幕営地:8/11,12 剱沢キャンプ場

●ワンポイント

立山は誰でも登れる穏やかな山。労せずして室堂平のお花畑と雪渓を楽しめるというのはすごいことです。 山頂からの眺めもすばらしく、北アルプス南部、後立山、大日岳と箱庭のような室堂平ということありません。 剱は岳人憧れの山ということですが、剱沢から往復の一般ルートは、しっかりした準備をして臨めば、 ほとんどの登山者がこなせるレベルの難易度だと思いました。 登る勇気がわかない場合は、立山を縦走して別山あたりから剱の雄姿を眺めるだけでも、価値があると思います(多分登りたくなります!)。

●写真

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●交通

往路JR蒲田20:46 − 東京21:07
東京21:12 − 新宿21:27
さわやか信州号新宿高速バスターミナル22:30 − 室堂6:55

復路立山黒部アルペンルート室堂10:00 − 扇沢13:30
さわやか信州号扇沢15:40 − 新宿駅21:35
JR新宿21:45 − 神田21:56
神田22:01 − 蒲田22:24

●山行

8/11(歩行時間4:36)
室堂7:30-途中休憩5分-一ノ越8:35-休憩8分-一ノ越発8:43-途中休憩5分-雄山9:40- 休憩20分-雄山発10:00-大汝山10:17-休憩73分-大汝山発11:30-富士ノ折立11:44-休憩19分-富士ノ折立発12:03-途中休憩5分-真砂岳12:39-別山13:22- 休憩23分-別山発13:45-剱御前小舎(別山乗越)14:10-休憩24分-別山乗越発14:34-剱沢キャンプ場15:08
8/12(歩行時間6:04)
剱沢キャンプ場6:30-剣山荘7:04-一服剱7:25-前剱8:16-剱岳9:45-休憩33分-剱岳発10:18-一服剱12:13-休憩11分- 一服剱発12:24-剣山荘12:40-途中休憩10分-剱沢キャンプ場13:22
8/13(歩行時間2:33)
剱沢キャンプ場5:10-別山乗越5:52-休憩18分-別山乗越発6:10-雷鳥沢キャンプ場7:03-休憩9分-雷鳥沢キャンプ場発7:12-みくりが池温泉8:10

●記録文

●1日目

今年の夏山のメインの山行は立山&剱。同行者は去年南アルプスで知り合ったフランス人のA君だ。この山行、もともと単独で計画を検討していたところ、A君と品川で飲んだ際、彼が立山に行きたいというので、それでは剱とセットで一緒に行こうという話しになった。
集合は新宿高速バスターミナル。室堂行きのさわやか信州号は予定通り発車し、休憩は横川と有磯海の2箇所だった。室堂へと向かうバスの中で、有磯海SAで購入した鱒寿司を食べる。ここはもう富山なのだ。
室堂着7時。快晴だ。アルペンルートのターミナルに上がり、出発の準備をする。出札でアルペンルートの混雑の情報を聞くと、見た目行列が長くても、どんどん増発しているし、乗れないということはまずない、とのことだった。
建物を出て、まずは室堂から一ノ越へと進む。いきなり森林限界。太陽の光がまぶしい。室堂付近の道は石畳になっている。夜行明けでいきなりこの高度なので、ちょっと心臓がばくばくする。あたりはチングルマ、イワイチョウ、イワカガミ、ミヤマキンポウゲ、ヨツバシオガマ、クルマユリなどのお花畑になっている。正面にはこれから向かう立山が、朝日の逆光の中に黒いシルエットを浮かび上がらせていた。振り返ると、室堂平の向こうに大日岳が格好よくせりあがっていた。
道はゆるい登りで、途中何箇所かの雪渓の横断を経て、一ノ越に着いた。山荘前から南側に広がる北アルプスの展望がすばらしい。槍や笠、水晶が目だって見える。このあたり、やはり人出が多く、数十人の人が休憩していた。下からは続々と人があがってくるし、上を見ると雄山まで長蛇の列が続いていた。
一ノ越を後にし、雄山を目指した。道はガレ場となり、斜度も増した。A君はこの山の人の多さを見て、まさに日本らしいという表現をした。確かにそうだと思う。この混雑どうやら、小学生の団体が入っているのがひとつの原因らしい。待っていても状況は変わりそうにないので、徐々に登っていくことにする。時間はたっぷり有るし急ぐことはない。このあたりの足元には、イワツメクサ、タカネツメクサ、イワギキョウ、チシマギキョウ、ミヤマダイコンソウなどが岩にへばりつくように、花を咲かせていた。
1時間ほどで、雄山山頂に到着。雄山神社では太鼓が打ち鳴らされ祈祷が行われていた。雄山からの展望はすばらしく、一ノ越では見えなかった薬師や黒部五郎もその姿をあらわしていた。鹿島槍、五竜、唐松の稜線も見えている。眼下にはカールに巨大な雪渓が広がっていて、このあたりの雪の多さを物語っていた。
喧騒の雄山を後にし、大汝山へと歩を進めた。神社の脇をとおり縦走路へと踏み込むと、いきなり前方に剱がどーんと見えてきた。この山に明日挑めるかと思うと気分も高まってくるというものだ。左手に大日三山に囲まれた室堂平の箱庭を見下ろしながら、20分ほどで大汝山に着いた。小さな岩積みを攀じて山頂に立つ。3015m、ここが富山の最高地点だそうだ。先ほどまで隠れていた、白馬岳あたりの山々も視界に入ってきた。黒部ダムのグリーンの湖面と、針ノ木岳の鋭鋒も美しい。
ここで昼食にする。自分はパンを食べて手軽に済ませたのだが、A君はアルファ米。今回の山行のためにコンロを購入したらしいのだが、お湯を沸かすのにかなりてこずったようだ。1時間強の大休止の後大汝山を後にした。そこから稜線をしばらく行くと富士ノ折立。ザックをおいて、岩峰を往復した。A君はここでようやく出来上がったアルファ米を食することができた。
富士ノ折立から真砂岳へはいったん大きく降っての登り返し。右側の内蔵助カールに残っている大量の雪が砂糖菓子のようだ。正面の別山の向こうには、剱が顔を出している。贅沢な稜線歩きだ...
平たい真砂岳を通過。ふただび降って、今度は別山への登り返しだ。A君は登りが得意。私のペースではとてもついて行くことができず、たびたび立ち止まってもらい申し訳ない。疲れも出てきて、ぜえぜえ言いながら別山に到着。山頂には祠が有るので、お参りしておく。着いたときは剱にガスがかかっていたのだけど、しばらく休憩していると、ガスが取れてその姿を眺めることができた。背骨のような北方稜線がすごい。振り返ってみるとこれまで歩いてきた立山の全容を眺めることができた。実にどっしりとした形のよい山だ。斜面にへばりついている雪渓が夏の日差しに反射してまぶしい。
別山からは剱御前小舎(別山乗越)を経て、剱沢キャンプ場へ。途中近道があったことには後で気がついた。別山乗越からは正面に剱岳を眺めながらの降り。左右には雪渓が豊富に残っていて、あたり一面お花畑になっていた。チングルマ、ハクサンイチゲ、トウヤクリンドウ、クルマユリ、ミヤマダイコンソウ、ウサギギク、アオノツガザクラ、ツガザクラなど。
剱沢にはカラフルなテントの花が咲いていた。混雑度7割といったところだろうか? 野営管理所で受付を済ませ、端の静かそうな位置に設営した。設営後は、剱沢小屋でチューハイと日本酒を購入。小屋前で、今日の山行を振り返りながら、A君と楽しいひと時を過ごした。剱沢からは正面に剱がその峻険な姿をあらわにしていた。明日の天気はどうだろうか? 予報では曇り時々雨なのだが...辺りを見ると、ほかの登山者もそれぞれの想いを胸に剱を眺めているようだった。
●2日目

未明から風が出始め、4時前にテントから顔を出すとまだ真っ暗な空にどんよりと雲がかかっていることがわかった。A君とは5時に出発の約束をしていた。朝食をとり、出発の準備をしていると雨が降り始めた。しばらく待って様子を見ようということになる。薄明の山腹を見ると、すでにヘッドランプの明かりがあり、人が取り付いていることがわかる。夜が明けると雨がやんだ。空を見上げると、つかの間に青空も見え隠れしている。出発を決めて6時半にテン場を後にした。
野営管理所の前を通り、建設中の剣山荘まで歩を進める。3回ほど雪渓の横断がある。このあたりもお花畑になっている。曇っている日の花は美しい。剣山荘は大雪で倒壊したとのことで、今期の営業はなし。来季の営業に向けて建設の真っ最中だった。このあたりで、20代3人組と挨拶を交わす。この3人とは今日1日前後して歩くことになる。
剣山荘から一服剱まではガレ場の登り。すでに岩場も現れはじめる。道端にトリカブトが咲いている。一服剱に着くと何人かの登山者が休んでいる。雨はないが、風が強い。みな口数少なく、そのまま前剱方面へと進んでいった。われわれもそれに続いた。A君は少し天気を気にしているようだった。正面に見える前剱への道に人が取りついているのが見える。だれかが「あんなところを登るのか」と思わずため息を漏らした。確かに、ここからは壁に人がへばりついて登っているように見える。
いったん降り、武蔵のコルから登り返す。コル付近は風の通り道になっており、歩きづらい。前剱への登りは見た目ほどの難路ではなく、ガレ場をジグザグに登っていく道。ただし傾斜は強く、ところどころ鎖場や岩をよじる箇所がある。岩稜で視界をさえぎるものがないので、高度感がすごい。ピーク付近の登降は踏み外せば谷底にまっさかさまという箇所もあり、なかなかスリリングだった。このあたりでガスがあたりに満ち始め、展望はなくなる。
前剱を越えて稜線を降っていく。10分ほどで岩壁をトラバースする鎖場に出た。鎖場の手前には30cm幅の桟道があり、高度感がある。風も吹いているので、バランスを崩せば危ない。ここまで天気や帰りの降りのことを気にしながら上がってきたA君はここでついにリタイア。勇気ある撤退ということで、後でテント場で合流することになった。一人で帰すことが逆に心配だったが、ここまでの道ならおそらく大丈夫だろう。いきなり剱のような場所に連れてきてしまったことを、あとで謝ろうと思った。
その間、何人かの人がこのトラバースを通過。「怖い!」と叫びながら通過していく人もいた。慎重に桟道を渡り、鎖をつかんで岩壁を通過していく。このトラバース実際は見た目ほど難しくはなく、途中で写真を取れるくらいの余裕はあった。眼下に見えるのは平蔵谷だろうか?
そこから何箇所か、鎖の登り降りがあった。一箇所長いくだりがあり、ここは足場を選びながら慎重に降りていく必要があった。やがて倒壊した小屋跡のような場所に出た。ここで踏み跡に従って上のほうに進むと、これも壊れたトイレの先に、長いハシゴが頭上に見えた。これはカニノヨコバイのハシゴではなかろうか? そう考えて一度引き返して逆に右手に降っていくと、やはり登りはこちらの道が正しかったようで、前半最後の難所、カニノタテバイにたどり着いた。
カニノタテバイ自体はところどころピンも打ち込んであり、手がかり、足がかりも豊富。この登りについては一気にこなすことができたように思う。なにしろアドレナリンが出まくっていて、無意識のうちに手足が動いていた気がする。終わってみると、この鎖場、ある程度の腕力は必要だが、それなりの経験とトレーニングをつんでいれば、それほど困難な岩場とは思えなかった。もちろん一歩間違えば事故につながることは間違いないが。この日は入山者も多くはなく、渋滞も起きなかった。とにかく足だけでなく腕力を使って体を引き上げていく感触はなんともいえず心地よいものだった。
山頂へはさらに岩場を攀じていく。途中で、カニノヨコバイの様子を上から眺めることができた。通過していく人が、恐る恐る鎖場を下っていく様子がよく見えた。自分も帰りはあそこをこなさなくてはいけない。15分ほど、岩場を行くと早月尾根との分岐に出た。山頂はもうすぐそこ、と思ったらそこでイキナリ雨がぱらついてきた。そしてそれはすぐに5mm大の雹に変わった。
山頂到着9:45。数人の登山者が休んでいる。その中に、剣山荘前で会った3人組もいた。そのうちの一人に写真をとってもらう。別の単独の人は横浜から来たと言う。この人とも後で前後して歩くことになる。雨は止んだが山頂からの展望は得られず。行動食を食べ、一服の後下山にかかった。下山前に山頂の祠にいろいろお参りしておく。このときの感覚としては、ああ、登ったんだという達成感はまだなく、とりあえず前半をこなして、半分ほっとした、という感じだった。この後カニノヨコバイの通過があるし、全体的に降りのほうが難しいに違いない。遠くで雷も鳴っている。雨が降らないうちに難所の通過は済ませたいものだ。
さて降ろうと、山頂から去ろうとすると、急にガスが晴れて視界が開けた。まず、眼下に早月小屋だろうか? 小屋とテント場があるのが見えた。そこから目を転じると、後立山らしい稜線が見えた。少しずつ降っていくとさらに、ガスが取れてこれまで歩いてきた一服剱〜前剱の険しい岩稜が手にとるように見えた。こんな稜線を歩いたんだなぁ、と感慨が沸いてくる。そしてその先には、立山と室堂平の地獄谷が顔を出していた。一瞬でもこの景色が見れたことがうれしかった。
岩場を降り、カニノヨコバイにたどり着いた。先に山頂を後にした3人組が、ちょうど視界の先に消えていくところだった。この鎖場、上から人の様子を見ていると、その姿が岩角を越えてありえない方向に足を下ろして消えていく。その先は何もない空間なので、見ているだけでもかなり怖い。見えない向こう側の空間に声が消えていってしまうのが、単独の自分にはまたこたえる。
鎖を握って数メートル降り、核心部に取り付く。下の様子をうかがうが、岩にへばりついていたのでは足場が見えない。いろいろ姿勢を変えるが、どこに足を下ろしていいかわからないので、思い切って鎖に体を預けて乗り出してみると、ぎりぎり足が届く位置に足場があることがわかった。はじめ左足を下ろしてみたがうまく届かず、次に中腰になって鎖に頼り、右足を伸ばして足場を得ることができた。左足も下ろし、あとはヨコにそろそろと移動していくと、カニノヨコバイを通過することができた。
次に待ち構えていたのは、行きに見た長いはしご。これも高度感があり、取り付くときが一番怖い。ハシゴが上に飛び出ているので、乗り越して後ろ向きになるのに苦労した。鎖をつかんで後ろ向きになり、なんとかハシゴに立つと、後は一段一段慎重に降って行った。そしてさらに鎖場を降ると、カニノヨコバイも終わり。小屋跡がある箇所に戻ってくることができた。
しかし、鎖場はこれで終わりではない。まだ、いくつかの登降が残っている。気を引き締めて先に進む。雷の音も少しずつ近づいているようだ。このあたりで山頂であった横浜の単独の人に追いつく。
やがて、平蔵の頭をあたりの登りの鎖をこなした時に、ついに空から雨が落ち始めた。結構な勢いだ。これはまずい、と降りの鎖にかかると、チェーンがぬれてかなり滑りやすくなっている。乾いているときとこれほど違うものだろうか? 握力全開で、ぬれた足場を慎重に選びながら降っていく。雷が近づいてくる。岩稜の歩行もついつい急ぎがちになる。ガスが濃くなり、雨具で視界も悪くなっているためか、何回か登山道から道をはずしてしまい、引き返して正しい道を探す。
途中同じように迷っている年配の夫婦がいて、道を聞かれ正しい方向を教えてあげる。その先にはヘッドランプの明かりが見え、進んでいくと例の3人組だった。そこは前剱への鎖場下で、年配夫婦も追いついてきた。ここで、年配夫婦からの先に行かせてほしいという申し出で、3人組、年配夫婦、私の順でにわかチームが出来上がった。雨の量も激しく、雷も近い。風も強くなってきた。鎖場、岩場では慎重かつ速やかに行動し、後は間違った踏み跡を進まないように気をつけながら、前剱付近を通過していった。ピークをいつ通過したかは不明。途中雷鳥がゆうゆうと岩場を歩いているのが見えた。写真を撮る余裕はもちろんない。
武蔵のコルが近づいて前剱最後の鎖場をこなしたところで、ようやく雨が止んだ。みな一様にほっとしている。年配夫婦が3人組にお礼を言っていた。少しの休憩の後、一服剱へと進んだ。武蔵のコルから先、体が横に振られるような風が吹いていて、時折耐風姿勢をとる必要があった。
一服剱到着。まさにやれやれといった感じで、一服することにした。風も弱まりつつあり、視界も広がってきた。だれかが「富山湾が見える!」と叫ぶと、歓声が上がった。おもわず自分も声を上げてしまう。富山湾の向こうには、能登半島が弓なりに見えていた。どんよりとした空の下に明るく見えるその姿がなんとなく感動を呼んだ。振り返れば前剱が大きくその姿を現していた。雷雨の中よくあんなところを降ってきたものだと思う。曇天の下に、別山や後立山の稜線までもが視界に入ってきた。あたりには、一服剱までで登山を断念したという年配の人が何人かいた。それも正しい選択の一つだと思った。
一緒に歩いてきた3人組が一足先に降りていくようなので、一緒に歩いてもらったお礼を言う。自分もしばらく休憩の後、剣山荘へ向かってゆっくりと降っていった。ようやく気持ちも落ち着き、剣山荘の先、雪渓とお花畑がある岩の上で、ガスの取れた剱を見ながら、ウィスキーを飲んで一人乾杯した。
疲れきって剱沢小屋到着。見ると3人組が小屋前で休んでいる。挨拶を交わし、まずは酒購入。日本酒を飲みながら、しばし3人組と歓談する。彼らは雷鳥沢にテン泊しているとのこと。これから別山乗越を越えて帰るのは骨の折れることだと思う。一緒に難所を乗り越えた親しみもあるので名残惜しいのだが、A君も待っているだろうし、テント場へと戻る。あとで、横浜の単独の人とも会うことができて、お互い無事下山できたことを喜び合った。
テント場は昨日より混雑していた。人や装備を観察すると、明らかにほかのテント場よりグレードが上がっているようだ。そうした中を、右に左によけながらテントに戻る。A君に下山したことを報告し、こんな山につれてきてしまったこと、一人で登ってしまったことを謝った。
しかし、それよりも衝撃的な話がすぐさまA君の口を突いて出てきた。なんと、私のテントが風で飛ばされたというのだ。そういえばテントの位置が変わっている。フライにも破れ傷ができたようだ。話を聞くと、10mほど先のハイマツに引っかかったところを、A君が拾ってくれて、元通り設営してくれたようだ。中の荷物も整理されていた。なんとお礼を言ったらいいかわからない...
どうやら、昼の嵐でキャンプ場一帯はものすごい風が吹いたらしい。ほかにもいくつかのテントが飛ばされたということだ。テントの中に石を入れて出発すればよかったのだが、まったく油断していた。本当にA君がいてくれて助かったと思う。そうでなければ今頃登山用具一式を失って、宿無しになっていたに違いない。
それから先は、酒を飲みながらの楽しいひと時。テントの外で2時間以上話しただろうか。16時半ごろになって、風でかなり体が冷えてきたので、2人ともテントに入った。疲れた私はそのまま寝てしまい。朝まで、テントの中で横になったままだった。夜は、神経が興奮していたのかうつらうつらとしかできなかった。このときになって、ようやく剱に登ったんだなぁ、という感慨がじわっと心の中に沸いてきた。ほかの山では得たことのない、独特の達成感だった。
●3日目

3時半起床。空を見ると若干の晴れ間あり。別山の左手に、オリオン座が見えた。帰りは扇沢から15:40発のさわやか信州号を予約してあった。扇沢までは立山黒部アルペンルートを利用していかなくてはならないが、お盆なのでどの程度の混雑、待ち時間になるのか予測がつかない。早く行動するに越したことはないので、5時過ぎにテント場を出発した。
お花畑と雪渓の中をゆっくり別山乗越へと登っていく。剱沢キャンプ場、剱岳ともこれでお別れだ。名残惜しさに、振り返り振り返りしながら歩く。40分ほどで、別山乗越に着く。ガスに包まれている。これから剱に登ろうという人が、行くべきかどうか迷いながら相談していた。
しばらく休憩の後、雷鳥沢への降り。ガレ場の中をジグザグに降っていく。4-50分もすると、ガスが晴れてきて、雷鳥沢キャンプ場や、温泉の建物が眼下に見えてきた。登ってくる人も多い。上を見上げると別山乗越も晴れている。剱登頂の日だけ悪天になってしまったが、それはそれで貴重な経験ができたと思う。
雪渓の残る雷鳥沢から称名川に降り立ち、木橋を渡って雷鳥沢キャンプ場に出た。ここで小休止。3人組がいないかと辺りをうかがったが見つけることはできなかった。雷鳥沢キャンプ場は、剱沢とはまったく雰囲気が違い、ファミリーや老人が多い。オートキャンプ並みの設備を持ち込んでいるものもいるようだ。それもそのはず、ここからは整備された道を1時間ほどで、室堂平に出れるのだから。
しかし、1時間とはいえ疲れた体に、室道平までの登りはこたえた。途中、地獄谷や、リンドウ池、血の池を見ながら、ゆっくりとミクリガ池温泉までの道を登っていった。あたりは登山者よりも観光客のほうが多い。ミクリガ池の向こうに見える立山は逆光、振り返ると朝日を浴びた奥大日がすばらしかった。
みくりが池温泉には8時前に到着。温泉は8時から。しばらく待って、早速朝風呂を浴びる。この温泉なかなかの高温で、温泉につかる習慣のないA君はかなり驚いていた。多少の高温なら私も平気なのだが、日焼けした腕や体にはさすがにこたえるので、少し水で薄めさせてもらい、何とか入浴することができた。A君も、ふうふう言いながら浸かっていた。温泉はあまりひろくなく、朝っぱらから次々と人が入ってきたので、ほどほどにして風呂から上がった。
その後、外のテラスでチューハイを飲んで乾杯。アルコールはいらない、というA君は温泉卵をなんと5個も食べていた。山ではアルファ米ばかり食べていたので、よほどおなかが空いていたのだろう。それにしてもすごい食欲だ。
そこから10分ほどで室堂ターミナル。無事下山できたことを祝ってA君と握手した。自分は剱には登らなかったから、とA君はちょっと控えめだった。本当に申し訳ない。室堂からは10時発のトロリーバスで大観峰まで移動。このときは余裕で座れるくらいの混雑だった。大観峰からは、黒部湖と針ノ木岳の眺めがよかった。左手には鹿島槍と五竜も見えている。しかし、山での壮絶な景色を見てきたものにとっては、下界の観光地の景色では、少し(というかかなり)物足りない。
みやげ物屋や食堂はかなりの値段。しかも時間とともに人がどんどん増えている。しばらくうろつくが、何をするという気力も起きず、そのままロープウェイで黒部平に降りる。ロープウェイからは、一ノ越から黒部ダムに降りる登山道が見えた。当初、この道で黒部ダムへ降りる計画も考えたのだが、ロッジくろよんに入浴サービスがないとのことで、最終的に断念した。
黒部平は大観峰以上の大混雑。身動きするのも大変なほどだ。あまりに腹が減ったので、アメリカンドックを買って食す。A君は中華まんを食べていたが、卵を5個も食べた後によく入るものだ。黒部平からは立山を振り返って眺めることができた。
さらにケーブルで、黒部ダムに降りた。隧道はものすごく寒いのだが、一歩外に出るとそこは真夏の暑さだった。ダムを覗き込むと観光放水が行われていて、虹ができていた。グリーンの黒部湖の向こうは赤牛岳。いつか登れる日が来るだろうか? 展望台には、人が鈴なりになっていて、階段には行列ができていた。われわれはもう少し腹ごしらえをしたいと、混雑覚悟でレストハウスに向かった。
レストハウスはザックを背負ったままどうこうできる状態ではなかった。しかたないので、露店の豚まんを買って、ベンチで食べた。A君はりんごジュースとおやき。意外に順調にここまでこれたので時間をもてあましたわれわれは、そこでぼうっと1時間ほどすごした後、超満員のトロリーバスに乗って扇沢へ移動した。
扇沢ではさわやか信州号の到着までさらに2時間の待ち合わせ。立ち食いそばを食べたり、みやげ物を買ったりしながら時間をつぶした。A君はここでもタコヤキを完食。本当におなかが空いてたんだね...全体を通してみやげ物は長野側のものが多く、富山のものは少なかった。どうせなら、富山のうまい酒でも置いておいてくれればよいのだが...
やっとやってきたさわやか信州号で帰京。途中、小仏で13kmの渋滞があり、新宿へは1時間遅れの到着となった。A君とは、新宿で握手しお別れとなった。次、どこかに連れて行く機会があったら、もう少しなだらかな山に連れて行ってあげよう...

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