山に行こう 山行記録 硫黄岳〜峰ノ松目〜横岳

硫黄岳〜峰ノ松目〜横岳

硫黄岳(標高2760m・長野県)
峰の松目(標高2567m・長野県)
横岳(標高2829m・長野県)

2003年8月18日(月) 曇りのち雨〜8月19日(火) 曇りのち雨〜8月20日(水) 晴れ
テント2泊 同行1名(W氏)
幕営地:赤岳鉱泉(8/18、8/19)

●写真

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●交通

往路JR蒲田5:59 − 品川6:08
品川6:15 − 新宿6:34
さわやか信州号新宿高速バスターミナル7:45 − 美濃戸口10:25

復路諏訪バス美濃戸口13:09 − 茅野駅13:58
JR茅野15:14 − 高尾18:03
高尾18:11 − 東京19:21
東京19:24 − 蒲田19:46

●山行

1日目(歩行時間3:19)
美濃戸口10:38-美濃戸11:58-休憩17分-美濃戸発12:15-堰提広場13:17-赤岳鉱泉14 :20
2日目(歩行時間6:47)
赤岳鉱泉6:40-赤岩ノ頭8:04-硫黄岳8:25-赤岩ノ頭8:41-休憩19分-赤岩ノ頭発9:00-峰の松目9:37-休憩19分-峰の松目発9:56-赤岩ノ頭10:53-休憩15分-赤岩ノ頭発11:08-硫黄岳11:22-硫黄岳山荘11:38-お花畑1周10分-硫黄岳山荘発11:48-横岳12:22-三叉峰12:35-地蔵仏13:21-行者小屋13:58-休憩40分-行者小屋発14:38-赤岳鉱泉15:00
3日目(歩行時間4:47)
赤岳鉱泉5:25-赤岩ノ頭6:44-硫黄岳7:13-休憩43分-硫黄岳発7:56-赤岩ノ頭8:13-休憩17分-赤岩ノ頭発8:30-赤岳鉱泉9:25-撤収60分-赤岳鉱泉発10:25-堰提広場11:15-美濃戸11:42-休憩5分-美濃戸発11:47-美濃戸口12:17

●記録文

●1日目

今年の夏は本当に天気が悪くて、前回の北アルプスから帰って来て以来、本州がからっと晴れた日は1日もない。仕方ないので夏休み(8/14-24)の前半は、Bと一緒に18キップで東北旅行。岩手で前沢牛を食い、福島で温泉に浸かって帰ってきた。
その間に天気は快方に向かうはずで、W君が天気予報次第で、さわやか信州号を予約しておいてくれる手はずになっていた。W君は会社の後輩で、最近山の泊まり道具を揃えたという気鋭の(?)若者だ。今回は初泊まりの手ほどきということで、八ヶ岳で軽く高山気分を味わって貰うつもりだった。
出発は8月19日の月曜朝。久々に2-3人用のテントをパッキングして計量すると、荷は17kほどになっていた。6時半頃の新宿駅はまだ人も少なく、途中のコンビニで菓子パンを調達しながら、ゆっくりと高速バスターミナルへ。6:45には到着した。今日は登山者よりも普通の観光客風のツアーが多い。富士山に登るツアーもあって、とても山に登る服装ではなさそうな人たちが行列していた。W君は初回から余裕の登場で、待ち合わせ時間を大幅に過ぎて7:20くらいにようやく到着した。
バスの座席は3分の1が埋まった程度。W君が先週バスを予約したときは火曜から晴れる予報だったのだけど、今日の予報では天気は水曜まで回復しない模様。乗客も登山者は少なかった。時間に遅れた客がいるということで発車は15分遅れ。結構スピードを出したのか、途中1回のトイレ休憩を挟んで、美濃戸口に付く頃には充分遅れを取り戻していた。
八ヶ岳山荘の前で、菓子パンを食べ、軽く準備運動。山荘の風呂は朝6時からやっているとのことだった。ツアーらしい大集団があたりに広がって準備をしているので、それに巻き込まれないうちに出発。林道を美濃戸へと向かう。花やキノコや蝶を見ながらゆっくりと進んでいると、ツアーが山腹をショートカットして、前に割り込んできた。仕方ないので、それをやり過ごしてからゆっくり進んでいった。曇っているせいもあるけれど、全体的に今年は冷夏なので、それほど汗はかかなかった。美濃戸でツアーが弁当を食べているのでそれを抜かした先で、我々も補給。美濃戸山荘の脇から豊富に出ている水がうまかった。
美濃戸から赤岳鉱泉へは更に林道が続いた。ただし車の通行はない。暗がりにベニテングタケの綺麗なのが生えていたので、W君と一緒に写真をとった。ツアーの大集団を除けばあたりは静かなもので、入山者下山者ともかなり少ない様子だった。当然この天候のせいもあるはずで、途中で一時雨が降り始めたので傘をさして進んだ。
ぱらついた雨もおさまって、広場のような箇所から大きな丸太橋を渡って山道に入った。増水時は巻き道を利用のことと看板があるので少し思案したのち、先に進んでいったグループもいたことだし、北沢沿いの道に行くことにした。下山してきた人に聞くと道は全く問題ないようで、増水とはよほどの大雨をさすのだろうと思った。
大した傾斜もなく、北沢を木橋で何べんも渡り返して道は続いた。一部道が小川のようになっている箇所があった。やがて水量も減って、沢を離れると赤岳鉱泉に着いた。鉱泉は立派な建物で、特にトイレが綺麗だった。紙まで備え付けてある。その代わり行者小屋と同じく幕営料は一人1000円だった。
手続きを済ませると、また雨がぱらついてきた。高台のサイトが空いたので急いで設営。ビールや酒を飲みながら、雨に煙る山荘をぼうっと眺めて過ごした。大集団が到着したのを見ると、ツアー客は赤岳鉱泉泊まりのようだった。
W君と一緒に酒を飲みながら夕飯の準備をした。初めての泊まり装備だけど、それほど疲れてはいなさそうだ。酒もすすんでいる。炊いた米で夕飯のコンビーフを食し、7時前に消灯。ラジオを聞くと、明日の天気も今日と同じで期待できそうになかった。
●2日目

寝坊して5時半頃テントから顔を出すとあたりには一面ガスが立ち込めている。状況は全く変わっていなかった。幸い雨は降っていないので、とにもかくにも硫黄岳までは上がってみることにした。テント内で夕飯の残りを雑炊にして食べた。
支度をして6時半に外に出ると、山荘の前にツアー客が広がって準備運動をしていた。道を塞いで腕を振り回しているのでトイレや水汲みにも行けない。彼らと前後して登るのは気が重かった。天気が悪いからといって、寝坊したのを後悔した。彼らの姿が見えなくなって、しばらく待ってからテントを後にした。
鉱泉の前の石段を上がって、暗い森の中を行く。林床にはいく種類ものキノコが生えていた。残念ながらそれを採って調べるのが今回の目的ではないので、写真を撮るだけにした。右手に大同心やジョウゴ沢への道を分けると、本格的な登りになった。
ガスが流れ、木の枝からのしずくを受けながら、森の中を登っていく。程なく階段の急登で、ツアーの最後尾の渋滞しているのに追いついた。添乗員に聞くと30人の集団で休憩は取ったばかりだという。譲ってくれる様子もなく、放っておくと延々尻尾についていくことになりそうなので、10分ほど過ぎたあたりで止ってもらって追い抜かさせてもらった。上からは上からで、100人くらいの集団が下山してきた。こちらは小学生の集団登山のようだ。先生が良く監督してくれていて、すぐに全員が止って道を譲ってくれた。
人を追い抜いたり、すれ違ったりするときはペースが乱れる。知らず知らずのうちにハイペースになったのか、ここでW君が気分が悪いといい始めた。顔色を見ると真っ青で、どうもこれ以上は行けそうもない。どうせ曇りで展望もなさそうだし、かわいそうだけど今日はテントに戻って貰って、明日にでも再挑戦ということになった。そこから先は一人での行動になった。
幾人かの人とすれ違うと、赤岳鉱泉から上がって、硫黄岳まで行って諦めて帰ってきたという人が多かった。稜線はガスで、かなりの強風らしい。やがて森林限界に出て少し登ると、赤岩ノ頭の分岐点で、東側から吹き抜けてくる風が急に強くなった。あたりは一面ガスが立ち込めていて視界は10m程度。踏み跡を探りながら何とか硫黄岳方面に向かっていった。
岩と砂礫の間に咲く夏の花は終わりかけ。トウヤクリンドウやミヤマコゴメグサが丁度花期を迎えていた。ざれた斜面を登るにつれ風が増していった。硫黄岳直下の岩場にしがみつきながら通過。すれ違う人と交わす挨拶も言葉になっていない。
山頂は台風のような風が吹きぬけていた。一面ガスで何も見えない。夏とは思えない寒さだ。石の堆積の中を進むと背丈の低い小屋があって、その先に硫黄岳の標識があった。どちらが硫黄岳山荘なのか区別もつかなかった。写真だけとってすぐに撤退した。
赤岩ノ頭に戻る途中で、ツアーが登ってくるのとすれ違った。ゆっくり登っているので強風で寒い中をじっと待たなければならなかった。挨拶もなく、気分が悪かった。彼ら自身の間にも、楽しそうな会話もない。ただ黙々とツアーリーダーについていっている。これは何のための登山だろうか?
赤岩ノ頭に戻ると幾分風が弱く感じられたので、パンをかじって補給した。登ってきたご夫婦にW君らしき男とすれ違わなかったか聞いたが、わからない、との答えだった。ちゃんと戻れたか少し気になりつつも、硫黄岳だけで帰るのではおさまりが付かなかったので、峰ノ松目まで足を伸ばしてみることに決めた。往復する間に晴れるようなら、もう一度硫黄岳に登って横岳にも行ってみるつもりだった。
峰ノ松目まではいったん降ってからの登り返しだった。辺りは針葉樹の美しい森だった。人影もなく、霧に濡れた美しい林相を楽しむことが出来た。右にオーレン小屋への道を分けて、急坂を登ると峰ノ松目に着いた。三角点があるだけの、森の中の頂だった。猫の額ほどの山頂で、ジンを飲みながらほっとした。深い森の中にいる実感がわきあがってきた。
休んでいるうち一瞬だったが陽の光が差し込んできた。これは晴れるかもしれない。ここで止めようと思っていた気持ちが、一気に横岳のほうに向いていった。急いで往路を引き返した。途中バイカオウレンなどが咲く小さな岩場があった。ヤマブシタケに似ている、と思いながらとらずに帰ったキノコが、家で調べるとやはりその通りであとで後悔した。結局この道では赤岩ノ頭に戻るまで誰にも遭わなかった。
この時間になると、赤岳のほうから縦走してきたという人が、現れ始めた。聞くと、ガスと風は相変わらずのようだったが、途中の道はそれほど困難なものではないようだった。辺りはやはり一面ガスで、峰ノ松目で現れた日差しは幻とも思える状況だったけど、朝よりも気温は上がっているようだ。意を決して、もう一度硫黄岳に上がった。
硫黄岳では相変わらず強風が吹き荒れていた。若いカップルがいたので写真を撮って貰った。二人は硫黄岳山荘のほうに降りていくようだった。見失わないうちにその後をつけていった。大きなケルンとロープを頼りに、巨石の登山道を降りていった。辺りに終わりかけのコマクサが現れてしばらく行くと、硫黄岳山荘が建っていた。立派な建てやは営業中となっているけれども、ひと気は全くなかった。小屋の下が、植物園になっていたので一周してみた。ほとんどの花は終わりかけで、そもそも風が強いので、ゆっくり楽しむ余裕もなかった。
ここまで来たのだから、奥の院までは行ってみようと思った。危険なようなら引き返すつもりだった。再び高度を上げていくと、どんどん風が強くなってきた。このあたり、歩くのに精一杯で辺りの状況はほとんど覚えていない。ざれた道で、完全に花期の過ぎているコマクサが点々とあったのくらいしか記憶にない。途中なんとか風の陰を見つけて、東北旅行で買った白松ガ羊羹を2個食べた。
岩場を回りこんで梯子を登った先が横岳(奥の院)だった。晴れていれば絶景なのだろうけど、ガスで何も見えない。誰もいない岩峰で、この先進むかどうか思案した。戻るも進むもコースタイム的に変わりなさそうだし、硫黄岳にもう一度登るのも馬鹿馬鹿しいので、いっそ地蔵尾根を下ることに決めた。幸いにも、風が少しだけおさまってきた気がした。気温も上がっている。
展望のない中、稜線を進んだ。大権現を過ぎ、三叉峰で山梨側への道を分ける。しばらく先で高山植物が多い風当たりの少ない岩場があって、ここが唯一くつろげた場所。タカネツメクサ、イワギキョウ、イブキジャコウソウ、ウメバチソウ、ヨツバシオガマ、ミネウスユキソウなどを見ることが出来た。
そこから先、二十三夜峰までは、鎖場やハシゴのある岩場が連続した。濡れて滑りやすい箇所もあるので、慎重に進んだ。しかし、今日は何よりも荷が軽いので、それほど苦にはならなかった。突起になった二十三夜峰を過ぎると、すぐに地蔵仏にたどり着いた。小さなお地蔵さんが、地蔵尾根のほうを向いてたたずんでいた。ガスと強風の中を縦走してきたが、この道はいつか晴れたときにもう一度歩いてみたいと思った。結局硫黄岳からこっち、すれ違ったのは2グループだけだった。
地蔵尾根はガスの中に急降下していった。半ばまでは鎖場と急な階段の連続だった。ここまで歩いてきて足も弱っているので、危険箇所は慎重を期して下っていく。何組か、これから登っていくグループがいて、もし明日晴れるのなら、とても羨ましく思えた。
快調に下って、行者小屋には40分弱であっという間に到着。去年、赤岳と阿弥陀岳に登ったのを思い出す。ここからは地蔵尾根に人が登降しているのがよく見えて、見ているほうが怖いような気がした記憶があるけれども、歩いてしまえば、何ということはない道だった。
喉も渇いていたし、気持ちに一区切りつけるためにも、生ビールを頼んだ。800円はちと贅沢だけど、その味は最高に胃袋に染みた。この寒さで、おでんは売り切れとのことだった。くつろいでいるうち、九州から来た人と、鹿島・五竜で台風にあった人と話をすることが出来た。
そのうち雨が降ってきたので、ひどくならないうちに赤岳鉱泉へ出発することにした。中山乗越までは去年通っていて、中山展望台から赤岳と阿弥陀岳の夕日に染まる姿が綺麗だったのを思い出す。今日はどんどん雨が強くなるばかり。降っていくにつれ、道が川のようになってきた。ヘリポートを過ぎてどんどん飛ばすと、赤岳鉱泉のトイレのところに出た。
日本酒を買うために小屋に入ると、行者小屋で写真を撮ってあげた夫婦が宿泊手続きをしていた。個室に1泊で21000円を払っていた。八ヶ岳辺りの天泊1000円は高いと思うが、小屋泊まりに比べれば安いものだと思った。小屋で日本酒を買って外に出るといよいよ雨はバケツをひっくり返したような状態になっていた。待てば止むような気もしたけど、えいっと走って、テントに飛び込んだ。当然全身ずぶぬれになった。
テントは無人。荷物はあるのでW君もどこかに出かけたのだろうと体を拭いていると、ざぁざぁぶりの中をW君が帰ってきた。トイレに行っている間に大雨になってしまったらしい。今日はあれから、テントで1日ぼうっとしていたとのことだった。自分からすればもったいない限りなのだが、体調不良では仕方ない。明日晴れたらもう一度硫黄岳にチャレンジするか、駄目なら中山展望台に行くことにした。
後は酒をお燗したりして、夜までの時間を過ごした。やがて雨も上がって、ガスも晴れてきた。昨日よりはかなり状態がいい。明日は期待できるかもしれない。ラーメン、ビーフン、カレーを次々と食し英気を養ったのち、明日晴れることを祈って就寝した。
●3日目

3時半頃目が醒めて、4時過ぎにテントから顔を出すと薄雲の向こうに星や月が見えている。晴れるかもしれない。そんな予感を抱いて、出発の準備を始めた。テントを出ることには茅野方面に青空が見えたりして、晴れの予感はいよいよ高まった。
準備を終え、再度硫黄岳への道を上がっていった。昨日はペースが速かったというので、今日はW君が先頭だ。自分のペースで登ればばてることもなかろう。後ろを着いていくと、それほど遅い足取りにも思えないから不思議だ。
あたりはやはりガスがかかっているけれども、昨日よりははるかに薄かった。森林限界に達する頃には、相当ガスが取れかかっていた。赤岩ノ頭に飛び出ると、相変わらず風が強かったけれども、視界は相当利いた。あっと思った瞬間、硫黄岳の山頂が見えた。思わず叫び声を上げてしまった。これは晴れる!
硫黄岳はすぐにガスに隠れてしまったが、状態はどんどん良くなっているようだ。斜面を登っていくうちに今度は、阿弥陀岳と赤岳が真っ白なガスの間から黒い稜線を見え隠れさせ始めた。ドラマチックな瞬間に足を止めては何度も写真を撮った。その向こうには南アルプスの稜線も姿を現した。
山頂につく頃にはほとんどガスが取れていた。猛烈な風が、どんどんガスを取り払っていく。やがて横岳から赤岳、阿弥陀岳、権現岳と八ヶ岳の全ての山々が姿を現した。反対には天狗岳や蓼科山も見える。遠くに目を転じると、北アルプスに槍がちょこんと顔を出している。御嶽山や中央アルプスも見えた。阿弥陀岳の向こうには、南アルプスの稜線が横たわっている。360度の展望だった。昨日からの胸のつかえが一気におりたような快晴だった。雨後の空気は、夏とは思えない透明感だった。山頂の端まで進むと爆裂火口がぽっかりと口をあけていて、ものすごい景色が足元に広がっていた。強風に吸い込まれそうになりながら写真を撮った。
山頂直下の岩場で風を避けながら休憩した。山頂にいた間に体温を奪われていて、歯の根が合わなかった。それでも陽があたっていると、すこし暖かく感じられるし、正面に見える八ヶ岳と南アルプスのクリアな景観に、時を忘れた。特に大同心のアンバランスな岩塔が面白かった。
軽く補給したのち、赤岩ノ頭まで下った。ここはかなり風が弱い。ここで大展望も見納め。しっかり目に焼き付けて下山にかかった。振り返ると、硫黄岳から硫黄岳山荘に続くケルンのスロープがあって、昨日ガスの中あそこを歩いたのかと思うと感慨深かった。
赤岳や横岳を眺めながら、道はすぐに樹林の中に入った。昨日上に泊まった人や、今日上がっていく人が羨ましかった。ジョウゴ沢の辺りから見る大同心がまたすごくて、岩の庇がこちら側にせり出しているように見えた。
赤岳鉱泉について撤収。濡れたテントを乾かして、少しでも荷を軽くした。最終日が劇的に晴れてくれたので、逆に妙な満足感があった。出発して振り返ると、横岳の西壁が日を受けて輝いていた。
途中見晴のいい河原で昼飯の予定だったが、日差しが強く、W君が暑いのは嫌だというので省略。あとは美濃戸口までの一気の降りになった。お蔭で、12時過ぎには美濃戸口到着。かなり汗だくになったものの、八ヶ岳山荘で風呂に入って、1本早いバスに乗車することが出来た。茅野駅前のそば屋で「八ヶ岳ラーメン」を食し、お土産を買って車中の人に。今日も18キップ利用の鈍行帰り。松本発高尾行きの意外と混雑した電車に揺られながら、酔い酔いになって東京へと向かった。

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